cafe de nimben

見たものと、読んだもの

Hozier "Take me to church" 2014

歌詞ってのはそもそも音に乗せないといけないものだから、散文よりも無理をするので、わかりにくいものだ。

しかも、色々と隠喩とか宗教的背景があるとかすれば、特にね。

歌詞を理解しないと、なぜセルゲイがこの曲に入れ込んで、最後の踊りの曲にしたいのかがわからないと持ったので、自分なりに訳を試みてみた。

こちらはオリジナルのPV

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自分なりに訳すとこうなった。

私訳:Take Me to Church

俺の恋人は面白いやつで、
葬式のクスクス笑いみたいに不謹慎なんだ。
ヤツはみんなからは顰蹙を買っている
もうちょっと早く付き合えばよかった

天国が話したとして、ヤツの言葉はそこからもっとも遠い。
毎週日曜の教会の礼拝の時は、もっと侘しくなる
毎週毎週、毒を盛られる気分だ

「俺たちはみんな生まれながらの罪人だ」って聞いたことがあるだろう

ヤツははっきりとしたことは言わない。
「ベッドルームで祈ろう」という
自分が行きたい天国はただ一つ、ヤツと一緒にいるとき

俺はビョーキに生まれ、それがいいと思っている
充実した人生になるように操ってくれ
アーメン、アーメン、アーメン

ベッドに連れて行ってくれ
君の甘い嘘で作られた体を犬のように崇めるぜ
罪を告白するから、お前のナイフを尖らせて
いかせてくれよ
おお神よ、俺の人生を捧げるぜ

在りし日の異教徒だったら、
ヤツは太陽の光の女神だ
女神のそばにいようとすれば、
それなりの犠牲はつきものだ

海を飲み込め
何かキラキラしたものをとってこい
インコースに肉っぽいものをもってこい
構わないぜ、お前ら上から目線で
馬小屋に何を持っているんだい
信仰ってな、なんやかんや口うるさい
うまそうだ
たくさんありそうだ
腹の減る仕事だ

(中略)

儀式が始まったら、主人も王様もない
俺らの原罪よりも甘い無実はない
狂ったように獣じみた寂しい泥臭いところ
その瞬間だけ、俺は生きている
その瞬間だけ、俺はまともだ

 

と理解すると、このドキュメンタリー映画で思ったのは、彼はバレエという恋人とジャンプしている時だけが、家族を離散させた原罪から目を離して、生きているという感じになれるという、とても孤独で、大きな傷を負った Bad Boyであり、おさまりつつあるとはいえ、まだ血を流しているんだな、ということだ。

だからこそ、セルゲイにはこの曲が響いたんだろう、と私は思っている。

蛇足:訳出注意点

そのまま素直に理解しようとすると

いろんな和訳を見ると、"the last mouth piece" が「最後のmouth piece」と訳されていることが多いが、"the last xx to yy" という「YYからはもっとも遠いXX」の方で理解した方がいい気がしている。

というのは、Church/Heavenが、世の中一般の教会/天国と、恋人同士だけの教会/天国で全く違う意味を、この歌の中で綴っているからだ。

恋人は、歌い手の側の人で、一般の教会/天国は、彼らの敵として描かれる。

このため、

If the Heavens ever did speak, She's the last true mouth pieace

は「もし天国が話せるとしたら、彼女はもっとも天国からかけ離れたことを喋る」というのが、歌詞の流れからすると自然な気がするけどどうだろう。その前で "She's the giggle at a funeral" 「彼女は葬式でのクスクス笑い(という不謹慎な存在)」と言っているわけだし。

She tells me "worship in the bedroom"
The only heaven I'll be sent to
Is when I'm alone with you

だけ見ると、恋人たちがベットですることをしたら天国にいる気分だという色ボケのよくある話なのだけど、サビの

Take me to church
I'll worship like a dog at the shrine of your lies
I'll tell you my sins and you can sharpen your knife
Offer me that deathless death
good god, let me give you my life

を読むと、これって

ベッドで、恋人を貪って、恋人は「ナイフ」を尖らせて、俺を永遠に続く絶頂に導いてくれ、ああ、人生の全てを捧げるぜ

なので、ナイフ=ナニの隠喩と捉えるのが自然で、歌っているのが男性なら、男性が男性のナニを欲しているのだから、PV通りゲイカップルの歌だと理解するのが正しそうだ。

であればこれがLGBTの歌として解釈されたり、PVがロシアのゲイ迫害について描写されていると言われたりするのは納得する。

一個わからないのが、なぜ "She" なのか。
ナイフを刺す方が普通はheで刺されるのがsheだから。音節的にも別にheで行けるのにね。まあ "He"  だと神の象徴になってしまうし、sunlightのgoddessと恋人を讃えているので、そこであくまでも一般的な教会↔︎恋人を対比させるのを優先したのかもしれない。

 

nimben.hatenablog.com

 

 

 

スティーブン・カンター『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』2016 英米

19歳と言う史上最年少で英国ロイヤル・バレエ団の男性プリンシパルになったセルゲイ・ポルーニン/Sergei Poluninの半生記をドキュメンタリーで。

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惹句に関してはオリジナルが一番かっこいい。

"I didn't choose ballet, it's who I am" / 私がバレエを選んだわけではない。私がバレエだ。

極端なものの言い方をすれば、この話は陳腐すぎる。

昭和のバレエ漫画でもありそうな話だ。

天才の出現、離散する家族、異国での苦しみと突出した才能、太陽に近づきすぎた天才の墜落、そして復活。

しかし陳腐さを全て叩きこわす、セルゲイの踊りの力が圧巻。

序章

現在から、物語は始まる。体が怪我だらけで、「いやー、これ米軍が作ったヤツみたいなんだけど、これ飲んで踊ると、翌日に全く疲れが残らないんだよねー」みたいな、ロシア語訛りの英語でヘラヘラと話す。体は刺青だらけで、バレエダンサーとしては似つかわしくない。しかしその鍛え上げられた体は彫像のようである。

そして、かかるBGMはブラックサバスのIron Man。

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セルゲイの「復活」を表すのにこの曲でいいのかと思いつつ、この曲を当てたってのがイギリスっぽい。

ダンスシーンが、始まる。

私はこの人を知らない。日本語のwikipediaにも載ってはいない。素人が見てもわかる。彼はすごすぎる。英国ロイヤル・バレエ団が彼をプリンシパルとして抱きながら日本公演をしていたら、一夜でファンが雲霞のように出現しただろう。いや、比喩ではなく、確かに彼はバレエだ。

でもなぜ、彼はこう言う経歴をたどっているのか?

そこから、彼の半生を時系列で追うことになる。

公開まもないので、ここからネタバレありで。

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デミアン・チャゼル『セッション/Whiplash』2014年アメリカ

最初にこの映画の報を聞いたときは、見るのに体力が必要そうだったので回避した。


Whiplash TRAILER 1 (2014) - J.K. Simmons, Miles Teller Movie HD

いい意味で小さい物語で、かつ変にまとまっていなくてよかった。

ちょっといっちゃっている音楽教師を演じるJKシモンズが良い。

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ウェイ・ダーション『セデック・バレ』2011(台湾)

1930年に日本統治下の台湾で起きた霧社事件をベースにした台湾映画。

映像がとてもきれい。アクションはとても派手で素晴らしい。

映画館の大スクリーンで見るべき映画だったなあ。

しかし、見終わった感じは、とても重く、哀しい。

とある気高いが時代に取り残された民族が一つ、消えていく様を見ている感じがするからだろうか。

この映画、長いんですね。第一部:太陽旗が144分。第二部:虹の橋が132分。冗長な部分はほとんどなく、その長さでしか語りえなかった感じはあります。見るのに体力が必要です。

公開からそれなりに時間が経っているので、以下、ネタバレ付きの感想。

  • なぜファンタシーと思って見てしまったのだろうか
    • 言語
    • 映像
    • 描写
    • そして、神話
    • 出草、またの名を首狩
  • 特筆すべきは、主人公を演じた林慶台(Nolay Piho) 
  • 予告編の違い。
    • まず日本版
    • 台湾版予告編

 

 

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仁義と義理と『侠骨一代』(1967)と『ジャッカル』(1997)

法的には許されないことを、超法規的に許したり、制裁したり。

それに喝采したり溜飲を下げたりするのって、どう言う心理が働くんだろうね。

侠骨一代 [DVD]

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ジャッカル (字幕版)

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 完全ネタバレ。

 

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