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見たものと、読んだもの

生誕110年 東山魁夷展 @国立新美術館

唐招提寺の御影堂障壁画は必見。中にいるかのような見せ方。

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これだけは撮影できた。本当はこれを背景にした自撮り用なんだろうけど。

kaii2018.exhn.jp

生誕110年 東山魁夷展|企画展|展覧会|国立新美術館 THE NATIONAL ART CENTER, TOKYO

以下引用部は、上記NACTのWebページから。

絵にガラスがはめてあるので、たまに反射が気になりました。保護のためとは思いつつ、ちょっとそれだけは小さく残念。 当たり前ながら、唐招提寺の御影堂障壁画にはガラスがはまっていないので、とってもよかったですよ。

唐招提寺の御影堂障壁画展示の何がすごいって、

構想から完成までに10年を要した東山芸術の記念碑的大作、奈良・唐招提寺御影堂の障壁画(襖絵と床の壁面全68面)を再現展示します。御影堂の修理に伴い、障壁画も今後数年間は現地でも見ることができないため、御影堂内部をほぼそのままに間近に見ることができる大変貴重な機会となります。

修理していなくても、お座敷に上がって障子を見るなんて、できませんよね、きっと。これが見えるんですよ。まさに「体験」素晴らしい。

また、気配りの人である。

日本に来るために何度も難破し光を失った鑑真和尚のために、#51『濤声』の海はエメラルドグリーンに輝き、あくまで穏やか。

#50『山雲』は、パナソニック汐留ミュージアムで見た東山魁夷の『山峡朝霧』によく似ていて、幽玄な荘厳な感じ。あのモチーフは、絵面は違うが等伯の『松林図屏風』の流れを感じる。(と、前にも書いていた>自分)

Hasegawa Tohaku - Pine Trees (Shōrin-zu byōbu) - right hand screen.jpg
By Emuseum, パブリック・ドメイン, Link

Hasegawa Tohaku - Pine Trees (Shōrin-zu byōbu) - left hand screen.jpg
By Emuseum, パブリック・ドメイン, Link

東山魁夷を初めてまとめて見たので、その印象を

  • 「朦朧体」という当時は蔑称だった絵画法を使っているせいか、細密ではなくちょっとぼんやりしている。遠くから見るとちょうど良い。そういえば「印象派」も最初は蔑称だったはずだなあ。 
  • だと、少しクリームがかったエメラルドグリーンが素敵
  • 写実ではなく心象風景
  • 最初に展示してある初期のものは、具象と抽象の中間という感じ。イラスト感がある。
  • 途中は、特に海外モチーフのものについては、具象的なものが展示されていた。
  • 晩年に向かうにつれ、具体的な細密さが上がるが、できているものは抽象という一回りしたように見える。晩年は多忙と年齢で実際に写生に行けなかったということだが、細かいところの具象度は上がっているように思います。
  • 時間で見ると、写真のように、それもシャッタースピードがあまり速くないものとして描いてあるように、私には見える。音自体は聞こえない。しかし、空気感は、湿り気や気温も含めて、感じられるというか。

 

障壁画以外に気になったものたち

  • 09 たにま: 苔の緑、白い水と黒い岩の三色。光琳の図屏風のような曲線。抽象っぽい
  • 15 秋翳: 細かく書いた紅葉が富士山のような形をします。秋の夕暮れ?
  • 27 白夜光: まさに北欧の白夜の水と森
  • 28 月篁: 細かいだけが風に揺らぎ、画面外の月(満月?)が、柔らかくも明るく照らす。
  • 29 谿紅葉: 大胆なコントラストが素敵
  • 41 晩鐘: らしくなく写実的。逆光の尖塔がよい。

 

いろんな感じの作品があったので、興味深く鑑賞できました。楽しかった。

 

参考

nimben.hatenablog.com

nimben.hatenablog.com

マチュー・カソヴィッツ『La Haine / 憎しみ』1995フランス

パリは2度ほど訪れていて、機会があれば再訪したいと思っているくらいには好きな街なのだが、もちろん暗黒面もある。テロや暴動が定期的に起きるのだ。

2005年のパリ郊外暴動事件

2015年のシャルリー・エブド事件

2015年の同時多発テロ事件

これに通奏低音として流れるのは、パリの移民政策。貧しい移民が固まって暮らす、パリ郊外の住宅街「バンリュー (Banlieue)」を中心に、時に静かに、時に激しく爆発する。

「貧民街」「スラム街」だから、と言っていても、遠い世界の話でわからないのだが、この映画が、そのバンリューの中の3人が主人公として描かれるのが、"La Haine" 邦題は直訳で『憎しみ』。1995年作品だが、全編モノクロ。

監督は、マチュー・カソヴィッツ。この作品でカンヌ映画祭の監督賞を受賞している。ちなみにこの年はクエンティン・タランティーノが『パルプフィクション』でパルム・ドールを取った次の年だ。 

www.youtube.com

 

大ヒットしたフランス映画『最強のふたり / Intouchables 』(2011仏) で介護役を務めるドリスも貧民街と言っているが、おそらく、バンリュー出身。

www.youtube.com

  

『憎しみ』で言いたいことは、時々挟まれるこのナレーションに集約される。

50階から飛びおりた男がいた。
落ちながら彼は確かめ続けた。
“ここまでは大丈夫”
“ここまでは大丈夫”
“ここまでは大丈夫”
だが大事なのは落下ではなく
着地だ。

 

原文であるフランス語では

C’est l’histoire d’un homme qui tombe d’un immeuble de cinquante étages.

Le mec, au fur et à mesure de sa chute, il se répète sans cesse pour se rassurer :

jusqu’ici tout va bien,
jusqu’ici tout va bien,
jusqu’ici tout va bien.

Mais l'important n’est pas la chute,
c’est l’atterrissage." 

 

直英訳すると、

This is the story of a man who is falling from 50-story-building.

The guy, as he falls, he himself constantly repeats to reassures himself:
until now, it is fine.
until now, it is fine.
until now, it is fine.

But the important thing is not the fall.
It is the landing.

ここから日本語にしてみると

これは50階建のビルから飛び降りた男の話。
男は落ちながら、ずっと確かめ続けていた。
今の所、大丈夫。
今の所、大丈夫。
今の所、大丈夫。
しかし大事なのは、落下ではない。
着地だ。

ほとんど直喩である。暴動が起きていないときは「今の所、大丈夫」と言い続けているが、5-10年に一度くらい、暴動という名の「着地」が起きる。

「着地」する人は、テロリストでも暴力団でもなく、描かれる3人のように、普通の若者にすぎない。そのやり切れなさを切り取っていて、1995年という随分前に作られた映画ではあるが、モノクロの効果もあって、古びない作品だと私は思っている。

 

ChromeのERR_SSL_VERSION_INTERFERENCE エラーで、見れないサイトがある時の対処

タイミングが、OSのバージョンを上げた時と似ていたので、OSのせいかと思ったら、実はブラウザのデフォルト設定のせいでした。

前提情報

OS: Mac OS X: Mojave

Browser: Google Chrome : バージョン: 70.0.3538.77(Official Build) (64 ビット)

バージョン表示方法:chrome://settings/help

現象と、頭を使わず対処提案に則った対処

現象:表示できないサイトがある。あるいは、文字や写真などの引用部分が表示されない。

エラー内容:ERR_SSL_VERSION_INTERFERENCEが出て、表示できないサイトがある。あるいは、文字や写真などの引用部分が表示されない。

エラー時にブラウザからでる対処例:

  • 接続できてるかどうか確認してください:他のサイトは閲覧可能、他のデバイスからそのサイトへの接続は可能。このため、サイト自体の問題、自分のMacのネットワークの問題ではないと考えられる。
  • ProxyやFirewallの設定を確認してください:自宅のなので設定していない。

となると、ん、頭を使わないといけないらしい。

初心に返って、エラー内容を理解した上で対処 > TLS 1.3設定と判明

エラー内容と、その理解:"ERR_SSL_VERSION_INTERFERENCE"とは何かを要確認。直訳すると「SSLのバージョンがマッチしてないエラー」。ということは、SSLのバージョン問題ってことは、HTTPSにする時の暗号化問題。今はTLS1.2? 1.3?

根本原因:調べると、ChromeがTLS1.3に対応していて、デフォルトではTLS1.3に対応していないサイトとは繋がないという設定になっているらしいことがわかった。

Chromeの設定変更

このため、セキュリティ的にはよろしくないが、利便性を優先して、TLS1.3縛りを解くことにする。

chrome://flags/

として、「Experiments」という詳細設定ページを開く。

この中に「

TLS 1.3
Sets the TLS 1.3 variant used. – Mac, Windows, Linux, Chrome OS, Android

#tls13-variant

という設定があるので、右のボタンで "Default" を "Disabled" に変え、Chromeを再起動して設定を反映させる。

見れなくなっていたサイトが表示されることを確認した。

今後の対応

今回のは暫定処置。セキュリティのことを考えるとサイトがTLS1.3に対応することが望ましいし、一定移行期間後にそれをしないサイトは、閲覧をやめるべきだろうなあと思います、自分の安全のためにね。

昔は、その利便性を担保するために、古いバージョンも対応し続けることが当たり前でした。しかし、そのために工数はかかるは危険な状態が続くはとなって、長期的には良いことはありません。このため、早めに危険版を捨てた方が得、というインセンティブを与えるために、今回のような措置の方が当たり前になりつつあります。

ブラウザも基本は自動更新となったので、自分で明確にUpgradeした認識を持つのは難しい。なので、「もしかして」と人間が気づくのは、今後だんだん難しくなるんでしょうね。

これを「小さな親切大きなお世話」ととるかどうかってのは、難しいところです。

 

参考

jp.techcrunch.com

memo.xight.org

www.iij.ad.jp

 

 

 

100万円の女たち @Netflix

キャラクターが活きているというのはこういうことなのだろう。

おすすめです。2017年にテレビ東京の深夜ドラマで放映、今はNetflix で見れます。

 

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解明される謎もあるし、されない謎もある。全ての伏線やミスディレクションがうまくハマるなんてのは、現実にはありえないのだから、リアリティという意味ではちょうどいいように思う。ドラマだけど、ちょっとドキュメンタリーっぽくて、ミステリーっぽくて、ちょっとラブコメでもあり、純文学的でもあり。いい意味で、日本の映画っぽい。ちょっと「黒い10人の女」を視覚的には思い起こさせるかも。

 

導入

売れない小説家である、道間 慎(みちま しん)は、5人の女性と同居している。

ハーレムではなく、シェアハウスのおかみさん的な立場として。

女性は、月に100万円を家賃として支払う。その代わり。

  1. 女たちに質問は禁止
  2. 女たちの部屋に入ってはいけない
  3. 夕飯は6人一緒に食べる

というルールがある。女たちは「招待状」を得て、この暮らしに入っている。「招待状」は道間には知らされておらず、女たちにはその内容はもちろん、ルール上聞くことができない。

その生活が始まって半年。

あり得ない状態になっているところから始まる物語。who done it, why done it の両方が問われるので、物語の駆動力は、完全にミステリーの手法。5人全員が妙齢の美女+冴えない男性というのも、漫画や映画で、割とスタンダードなパターンである。

さて。

 

キャラクター

キャラクターが立っている、というのはこういうものだと、感心する。

 

まずは、道間を、朴訥な演技で魅せる野田洋次郎が素晴らしい。陰気で、弱気に見えて、しかし小説を書くというところでの芯が強く、もしかしたら一番メンタルが強い。それを気負わずに、熱演ではなくあくまで自然体で演じているというのは、すごくいい気がする。

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というか普通、野田洋次郎といったらRADWIMPSのボーカルと思うよね。役者でこういう存在感を醸し出すとは。

 

強烈なインパクトを最初から与えるのが、白川美波(みなみ、と呼ばれる)を演じる、福島リラ。もともとファッションモデルで、”ウルヴァリン: SAMURAI" でもヒュー・ジャックマンと共演をしている。

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まず画面のインパクトから。彼女は家では裸族なのだ。実写で見るとその異様さがすぐにわかる。

が、インパクトは、彼女の性格もそうだ。女たちの中で一番年上で、酸いも甘いも嚙み分けている。とある裏の職業の社長をしているので、肝は座っているし、調査能力も高い。姐御、である。このドラマの中で、彼女が一番好きだなあ。ファンになった。

 

別の意味でインパクトを与えてくれたのが、小林佑希を演じる我妻三輪子である。ちょっとぽっちゃりで、親しみやすい感じに見えるが、「バカ嫌いなんで」と一刀両断する毒舌の持ち主。

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この人の表情が良い、嫌な顔もいい顔も。

他にも、色々曲者俳優がたくさん出てきて、しかも、変に舞台演技するわけでなく怪演するわけでもなく、隣のビルで起こってもおかしくないようなノリで、でももちろん日常をかなり逸脱している感じで、物語は進んでいく。

 

個人的には、道間の編集者をやっている桜井役の山中崇が、一番不気味なんだけど。彼は、長く道間の編集者をやっていて、どうにかして売りたいと思っている。(売るのは営業の役目じゃないのか、と思わなくはない)そしてその売り方は、正攻法のものばかりでは、ない。

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この俳優さん、最初はJTのCMで見たんだけど、いい意味で人畜無害が普通を自然体で演じるのが上手い方だと思っていたら、『アウトレイジビヨンド』で、おいおいおい、まあ「全員悪人」だから悪人なんだろうけどさ、という役でびっくりして、それ以来、サイコパス的に何か急に怖いことをするんじゃないかと、いつも身構えてしまう。

この他にも、女たちとして、武田玲奈新木優子松井玲奈が出演している。

 

3つの構造

主人公には、謎と敵が必要だ。

第一は、その状況という謎

はじまりで謎は提示されている。

誰が五人の女たちが道間と同居するという設定をしたのか。それはなぜ? そして、なぜ、女たちはそれを受けたのか?

第二は、道間の父、あるいは人殺しという業

道間の父は、刑が確定した死刑囚。その死刑となった原因が、妻が不倫しており、妻(つまり道間の母)と不倫相手と、止めに来た水口という警官の3名を殺したことにある。警官の遺族には定期的に線香をあげにいっている。彼は道間と同じ歳だったのだ。

水口の母の立場は、息子と殺された自分と同じく、母を殺された道間という、大切な人を殺された被害者同士、ということで、シンパシーを感じているらしい。もちろん、息子を殺した道間の父のことは憎んでいる。

第三は、嫉妬あるいは、小説観の相違 

これとは別に、外の敵が設定されている。

売れに売れているイケメン小説家の花木ゆずと、それに肩入れし道間を毛嫌いする森口竜市。花木は道間のことはぜんぜん気にもかけていないが、とあることがきっかけで、ライバル視するようになる。ライバル視ではないな、叩き潰したいゴミ認定というところか。

ここに、表向きは「小説観」の対立という、道間 vs 花木という軸が設定される。

それは、編集者桜井 vs 評論家森口でもある。

 

流れ

謎の提示、1話完結で女たちの一人一人をフィーチャーして、大きな意味での自己紹介が終わった後で、話がどんと動き始めると思っていたのだが、違った。先が読めなかった。

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ルーベンス展−バロックの誕生 @国立西洋美術館

惹句は「バロックの誕生」というよりも「王の画家にして画家の王」という方が、展示会の内容をよく表しているのではないかと思う。

まあ、人間という動物の本能なのか、見上げるようなデカイ絵がどーんと鎮座しているとそれだけで敬虔な気持ちにもなります。宗教絵画でもありますし。

 

www.nmwa.go.jp

www.tbs.co.jp

 

工房で作ってるとはきいていたが、確かにクオリティが安定しない感じがした。

いや、基本的にAAAとAAとAしかないというのは前提としてもね。

流れは今ひとつよくわからなかった。「バロックの誕生」とするならば、バロックがどのようにしてできて来たのか、というのをルーベンスの先輩で影響を与えた他の作家のものを辿りながら、バロックができてくる(そして発展的に解散していく)流れが必要な気がするのだが。制作年ごとに作品が並んでいるわけではないですし。

ただ、この展示会は、そういう流れではなく、ただただルーベンスのオールスターを愛でるというものでいいような気がする。ということで、好みの絵とその周辺、という感じでこの展覧会を楽しみました。

 

小品の楽しさ

クララ・セレーナ・ルーベンスの肖像 / Portrait of Clara Serena Rubens / 1615-1616

Peter Paul Rubens 030Peter Paul Rubens [Public domain or Public domain], via Wikimedia Commons

当時5歳で、のちに12歳で亡くなる娘さんの肖像画。周りをぼかして、顔を精密にすることで視線誘導をしている。ちょっと緊張した風な表情と、特に左の眼球を覆う涙液の表現とか。美しく、繊細。自分のために、家族のために渾身で作ったのだろうか。

 

ローマの慈愛

獄中で餓死する定めとなった老父キモンを、授乳によって救おうとする娘ペローという、流行モチーフ。

 

展示されていた方: 1610-1612 / サンクトペテルブルクエルミタージュ美術館

Roman Charity - Pieter Pauwel Reubens Peter Paul Rubens [Public domain], via Wikimedia Commons

 

展示されていない方:1630ごろ、アムステルダム国立美術館 (Rijksmuseum) 蔵(フェルメールの『牛乳を注ぐ女』を所蔵している美術館。レンブラントの『夜警』もね)

Peter Paul Rubens - Cimon en Pero Peter Paul Rubens [Public domain], via Wikimedia Commons  

個人的には展示されている方が断然好きなんだけど、ルーベンスっぽいのは展示されていない方かなあ。見比べるとわかるんだけど、前者は陰影が強くて、後者はもうちょっと全体的に明るいんよね。あと、前者の方がほとんど死相が出ているけど、後者はそこまで死にそうではない。他のモチーフでも描かれるが、死者の肌の色のルーベンスの描き方は、かなり怖い。

軍神マルス

マルスとレア・シルウィア / Mars and Rhea Silvia: 1616-1617

Rubens - Mars et Rhea Silvia Peter Paul Rubens [Public domain], via Wikimedia Commons

火床の女神ウェスタの巫女として仕えているレア・シルウィアが、処女にも関わらず懐妊し、ロームルスとレムスを産むという、ローマ帝国創設神話を絵にしたもの。

務めの水汲みの際にレア・シルウィアを眠気が襲い、彼女が眠っている間にマルスは交わったという。恋に我を忘れているマルスと、恋い焦がれているのか単に眠気が勝っているのかわからないレア・シルウィアの両方の表情が豊か。

ルーベンスの絵は、題材とか描かれているものにだいたい意味があって、当然発注者のかたもご存知ですよね? という理解しあっていることが前提になっている。

  • 左端のプット、幼児の体を持つ天使。モブキャラ。武装解除
  • マルス、軍神なので武装しているんだけど、他にも武装神はいるから決定的なものってあるはず(だけど、私は寡聞にして知らず)
  • 真ん中のクピト。プットと体は一緒だけど、矢を持っているのでローマ神話のクピト。ギリシャ神話のエロス。ということは愛を司り、この二人の恋は成就することを示す。
  • レア・シルウィアの衣装はきっと巫女だとわかるものなんだよね。
  • そして右端に、熾火があり、火床の女神ウェスタが祀ってある。

でもこのマルスって、ヘラクレスっぽい。胴の厚さとか顔の骨格とか。しかし、すぐ隣に掲示されている「ヴィーナス、マルスとキューピッド」となると感じが違う。

ヴィーナス、マルスとキューピッド / Venus, Mars and Cupid / 1630年代初めから半ば

Rubens, Sir Peter Paul - Venus, Mars and Cupid - Google Art Project Dulwich Picture Gallery [Public domain], via Wikimedia Commons

もうちょっと優男なマルス。ベラスケスのよりも若い。これって注文制作で、例えば発注者に似せているから、なのかなあ??

ちなみにプット/クピトの羽根って、ルーベンスのものは肩甲骨にぐさっと刺さっている感じで描かれる。解剖学や観相学を修めているのにこれだと羽根動かんけどなあ。どうしてそうすることにしたのかは、とても不思議。

 

参考:ベラスケス:マルス1638ごろ Dios Marte / Diego Rodríguez de Silva y Velázquez

Velázquez - Dios Marte (Museo del Prado, 1639-41).jpg
By Diego Velázquez - See below., Public Domain, Link

同じ武装解除マルスも、ベラスケスとルーベンスは随分感じが違う。でもビーナスと一緒の方が、ベラスケスに近いかも。

 

しかしこの頃は、授乳は母乳飛ばしが主流なのかな?

参考:Saint Bernard / Alonzo Cano /1657-60年

San Bernardo y la Virgen, de Alonso Cano.jpg
By Alonso Cano - Galería online, Museo del Prado., Public Domain, Link

 

 

 

ヘラクレス

このほかも、2世紀のヘラクレスの頭部の彫像を見ながら、『ヘスペリデスの園ヘラクレス』それと対になる『「噂」に耳を傾けるデイアネイラ』を見るというのは、なかなか贅沢でよかったです。

また、他の作家たちを含めて、『獅子を引き裂くサムソン』を同時に見るのもよかった。

Heracles and the Nemea Lion Pieter Paul Rubens

Yelkrokoyade [Public domain or CC BY-SA 4.0 ], from Wikimedia Commons

群像もの

群像ものは、工房の人たちと一緒にやっているせいか、たまにハテナな感じになる。多分、どこにフォーカスが当たっているのか、よくわからなくなるかなかな、というのと、登場者の視線が微妙にあっていなくて、不安感を覚えるから。

エリクトニオスを発見するケクロプスの娘たち / The discovery of the infant Erichthonius / 1615-1616

Rubens-Auffindung des kleinen Erichthonios durch die Töchter des Kekrops Peter Paul Rubens [Public domain], via Wikimedia Commons

ね、微妙に目線が交錯しない。真ん中のおばさんがこっち見てる。私には居心地悪い。

聖アンデレの殉教 / The Martyrdom of St. Andrew/ 1638-39 @Madrid, Fundacion Carlos de Amberes

El Martirio del apóstol San Andrés, PPRubens, Fundación Carlos de Amberes Peter Paul Rubens [Public domain or CC BY-SA 4.0 ], from Wikimedia Commons

こっちは視線がだいぶ合っていて、安心感がある。 

 

アントワープないしパトラッシュ

しかし、動画作品として、8Kでスクリーン投射されていたアントウェルペン聖母大聖堂の《キリスト昇架》《キリスト降臨》《聖母被昇天》は素晴らしくよかった。行くしかないのかな、パトラッシュ?

ちなみにベルニーニ

実はベルニーニがちょこまかと飾ってあって、私歓喜

ベルニーニがラオコーンの胸像を作ったものが、ルーベンスのラオコーン 群像の模写とともに飾られていた。ラオコーン は、バチカン所蔵のものですね。この胸像というか首から上。

00000 - Vatican - Pius-Clementine Museum (3482893024).jpg
By xiquinhosilva - 00000 - Vatican - Pius-Clementine Museum, CC BY 2.0, Link

 

また、『法悦のマグダラのマリア』/ Mary Magdalene in Ecstasy 1625-28 / Lille, Palais des Beaux-Arts 

Lille Pdba rubens marie madeleine.JPG
By Peter Paul Rubens - Own work, Public Domain, Link

肌を見ると死んでるんですが 。法悦って怖い。

この隣に、ベルニーニの『聖テレサの頭部』が飾られていたり。

ベルニーニ、行きたい熱に変わってきた。

ということで、ある意味、フェルメールと違って多作すぎて全制覇するのが難しいルーベンスを、ほとんどルーベンスの作品で飾るというオールスターキャストは、ルーベンスの中にも良し悪しや傾向の違いがあるところまで見せてくれるという、凄まじい会でした。ルーベンスを「浴びた」感じ。

 

参考

 

ルーベンス熱が上がった元の展覧会

nimben.hatenablog.com

プラド美術館展にもルーベンス作品、関連作品あったよ

nimben.hatenablog.com

ラオコーン  

nimben.hatenablog.com