cafe de nimben

見たものと、読んだもの

(primo piatto-2) 創発空間としてのcafe (飯田美樹氏)

飯田美樹氏のブログ
http://blog.goo.ne.jp/iida-miki

ヨーロッパのカフェは、17世紀から20世紀の初頭にかけて、新しい時代を生み出していったという事例紹介から、話は始まった。

藤田嗣治という画家の名前はしっていたのだが、彼の最初の個展で推薦文を書いたアンドレ・サルモンとは、エコール・ド・パリで出会ったというのは知らなかった。

wikipedia: 藤田嗣治
http://ja.wikipedia.org/wiki/%E8%97%A4%E7%94%B0%E5%97%A3%E6%B2%BB

飯田先生のお話から自分なりに整理すると、まず、カフェとは三つの自由からなる。
時間的な自由:そこにいつ行ってもいい、居続けてもいい、いつ帰ってもいい
身分からの自由:社会的地位と関係なし。話す内容で関係がきまる
思想の自由:サロンとは異なり、女主人による閉鎖性がない

で、ハードであるカフェをソフトウェア的にもカフェ的空間たらしめるには、アトラクターの存在がキーになる。

アトラクターは、すでに名をなした人物で、「その人がいるぞ」ということで、後輩世代をそのカフェに呼び込む力がある人のこと。

「神」だであるアトラクターを、後輩世代は最初はあがめ、見て、話す機会をえる。そのうち、「神」フィルターが徐々に解けてきて、「自分もイケるんじゃないか」とおもうようになる。

「自分もイケるんじゃないか」とおもったら、同世代と議論をしていき、互いに学び合う。

そして「先輩世代はイケてないんじゃないか」とおもったら、「何かを否定するのはたやすいことだが、乗り越えるのは簡単ではない(ボーボワール)」にしても、自分たちで新しい道を苦しみながら探ることになる。

#このあたり、能の「守・破・離」にちょっと似ている気がする。

苦しみつつ新しい道を見つけられた人たちがいる(=カフェが天才を創発できた)のは、ジョハリの窓でいう「unknown self」をお互いに指摘し合い、協調学習プロセスをへて、議論が上昇していくからではないか、という仮説をとなえる。

#協調学習とは:複数の学習者同士がお互いにコミュニケーションをとりながら学び合うこと
http://www.beatiii.jp/seminar/012.html

そのための条件としては、カフェは「内部では言いづらいこともいえる外部の空間(=public & informal)」であってほしいとのことでした。