cafe de nimben

見たものと、読んだもの

飯田美樹「cafeから時代は創られる」いなほ書房 (2)

いまのところ、第四章「カフェという避難所」を読んでいる途中。

Cafe研のグループワークでは「『避難所』といういいかたはちょっとネガティブすぎないか?」ということを話していた。

で、仕事という日常にかえり、いつものようにblog界隈をぶらついていると、やはり「避難所」という言い方はちょっとどぎついものの、本質的な指摘なんではなかろうかとおもうようになってきた。

それはベクトルのずれ、の話だ。

会社員の場合、会社の進むベクトルにはある程度あわせないと職務をはたすことができない。あわないからといって仕事をしなければ当然クビだ。

しかし、会社での仕事と自分が進みたい方向が就業時間中、かならず100%一致するということは、ありえない。多少のずれがあるのは当たり前だろう。

その「ずれ」をどうやってバランスさせるか、という方法論が必要になってくる。
過剰に一致させることは、過剰適応をまねき、私の心をむしばむだろう。
全く一致させる努力をしないことは、失職の危機をまねくだろう。

「ずれ」によるストレスを発散させる場所のひとつが、カフェなのだとおもう。

ストレスを発散させるだけなら、別にバーでもいいし、球場でもかまわないので、カフェでなければならないという視野狭窄はひつようない。

また「避難所」は、災害などにあったときに「一時的に」逃げてくる場所であって、そこに定住するものではない。

だから、ずれを修正するためにCafeにきて、修正のタネができたら、いるべき場所に帰る。

そういうものではなかろうか、という気がする。

現在もそういうCafe的なものは、ある。

たとえば;

上司に認めてもらえないエンジニアは“社内”を捨てOSSで行こう
http://japan.zdnet.com/news/devsys/story/0,2000056182,20360174,00.htm

すごくはしょって話せば、
 会社に認めてもらえないエンジニアが
 自分でオープンソースソフトウェア(=OSS)開発を立ち上げて
 逆に会社に認めてもらいました
という、お話。

会社→避難所→会社、というループができている。

Cafeというよりもコミュニティという色が、この例の場合は強いとはおもうけれど。
OSSという仕組みは、ごく一部のコミッタといわれるひと以外は逆に言うとプロジェクトに対してコミットをするわけじゃない(はず)だから、限りなくCafeに近いコミュニティといえるんではなかろうか。

OSSには、こういうCafe的な匂いがあるんじゃないかな、とおもっております。中のひとじゃないけどね。