GIGAZINEやスラドなど、色んなIT/ICT系メディアで取り上げられていたので、一読したのだが、いまひとつ納得がいかなかった。
だって「読みにくく」したら、お客様や上司に、ハナから読まれない、という経験があるもの。それもけっこうな確率で。
これは、「読みにくく」しても、読む側に「どうあっても読まないといけない」という強制力が働いているという特殊な前提がないと無理なんじゃなかろうか?
また、「わかった気になってもらいやすいけれど、実際には理解していない」ものと、「わかりづらいなとお叱りをうけるけど、実際には伝わっている」ものがあるのも、プレゼンの経験上、わかる。
「学習効果」を定量化しようとすると、テストをしているのだろうな、と予想をする。つまり、「わかったとおもうひと」ではなく、実際に「わかるという結果」を出した人数や確率を調べたのではないかと。
となると、ビジネスの世界ではなく、学校の話なのではないか、という仮説をもった。
それで、
経緯を調べてみた
元々のお話は、Cognition誌に掲載された論文らしい。(いつの論文かは、調べてません)
BBCが2010年10月22日にMaking things hard to read can boost learning(読みづらくすると、学習効果が大幅に上がる)にしている。
そして、年が明けて、米国Wired誌のJonah Lehrerにより、「The Educational Benefit of Ugly Fonts」(醜いフォントの教育的効用)と紹介された。
「同じ内容を、読みやすいフォントと、読みづらいフォントで教え、その後テストをしたら、後者のほうが点が高かったんだって」という部分が強調された。
その部分がさらに強調され、IT/ICT系の記事が多いメディアに掲載され、多くのひとの口の端にのぼった、と。
しかし、
論文著者の内容は、実は
上述のBBCの記事にけっこう大きめに抽出されているので、孫引きする。
It's not printing things badly that's needed, but more thoughtful reading
フォントだけではなく、前提知識が少ないものを、ひとは読みづらい(disfluent)と感じる。「読みやすい(fluent)」なものは書いてある内容が右から左に抜けてしまうことがあるが、disfluentだと、頭の中で「これってどういうことだろう」と考えながら読むので、学習効果が高いのではないか、という仮説を、論文著者はもっているようだ。
これは、けっこう私も実感する。
最難関は「そつ」のコントロール
プレゼンの聞き手としては、プレゼンにそつがなさ過ぎると、わかった気になるけど、内容がつるんと抜けてしまう感じになることが多い。
かえって、ちょっとつっかえたり、機材に不具合がでたプレゼンのほうが、お聞きになっているかたの印象にのこる。
以前、ライムスター宇多丸の weekend shuffle だったか、宇多丸さんが出演した小島慶子kira☆kiraでおっしゃっていたことを思い出す。
レコーディングでは、最近は技術が向上したから、いろいろ編集するのが簡単になったの。失敗を直そうとおもえばいくらでも直せる。しかし、直しすぎると、味がなくなってしまう。どの程度、どういう「そつ」を残すのかが、プロデュースのセンスだ
というようなセリフだったと記憶している。
完璧が敗北する瞬間だとはおもう。が、「そつ」が有りすぎるのもまずい。適切な範囲の「そつ」のコントロールって、おそらく一番難度が高いバランス感覚なんだろうな、とおもったのでした。
*1:Dylan Wiliam Emeritus Professor, Institute of Education, University of London