永訣の朝 aka The Last Farewell by 石井裕MIT教授 at TEDxTOKYO2011

宮沢賢治の「永訣の朝」を、今日初めて知った。
東北弁になじみがなく、妹のセリフの部分がよくわからなかった。
YouTubeで朗読を探して聞いた。
その上で声に出して何度か読んでみた。涙がとまらなくなった。

昨日、2011年5月21日に、MITのメディアラボ副所長で石井教授が、TEDxTokyo2011でおこなったプレゼンのタイトルが、「永別の朝」の訳である「The Last Farewell」だった。

プレゼンシート(PDF)、そして、「永訣の朝」。

氏の英語の発音は、かなり怪しい。
平板で早口。デリバリーとしては、ちょっとどうかな。もっとうまいひとは、山ほどいる。

しかし、聞き始めると、圧倒される。
MITでテニュアを獲得し、10年以上教授として最前線に立ちつづけている、彼の業績が裏打ちするコンテンツの濃さは、世界最高峰のひとつなのは確か。だが、そういう問題ではない。
彼が目指してい、うまく言語化できない目標を、肩を組んでいっしょに目指そうとしてしまうからだ。熱に浮かされて、巻き込まれてしまう。

それは、コンテンツでも、デリバリーでもなく、想いとか志、あるいは情熱の大きさと熱さの問題なのだろう。

石井教授といえば、「タンジブル」。手で触ることができる、ユーザーインターフェース

「身体痕跡」が欠落している情報は、大きなモノが抜け落ちてしまっているのではないのか?

我々は、2100年には、全員死んでいる。
2200年に生きるひとに、自分は何を残すのか?

曲がった鉄砲玉のように飛び出して、どんな白い雨・みぞれを、欠けたお茶碗につめこんで、今日死にゆく妹に差し出すのか。
自分の全ての幸いをかけて、何を願うのか。

ああ、このプレゼンはまだ、腑に落ちていない。論理の軸も定まらない。
でも、何か火がついたのだけは、わかる。