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橋本治『ちゃんと話すための敬語の本』ちくまプリマー新書

twitterでエリさん(@elli214)に薦められて。
twitterで;

  1. 「わけがわからない」を英訳すると、"It is not rational" と "It is not reasonable for me" のどちらも可能だなあとつぶやく
  2. 英語に比べて日本語は、第一人称と第三人称の差が曖昧だな、という話になる
  3. 大阪弁でなぜ第二人称が「自分」なのか、という話になり
  4. 橋本治『ちゃんと話すための敬語の本』を薦めていただいた

という流れ。
ちょっと大きめの本屋にいっても置いていなかったので、日本最大級の本屋にいって探して買ってきた。amazonすら待てなかったのだw
はたして、買って正解。
10年後、20年後に読み返しても、何か発見があるような気がする。
もしかしたら、これ、オーディオブックだともっといいかもしれない。書き下ろしというよりも、語り下ろしで聞きたい。というのは、流れがきちんとシーケンシャルなのね。そして、そのシーケンシャルさに意味がある。他の平行世界を許さないアウトラインの強さというか。
とくに最初の「ねぇ、先生」のくだりはね、ぜひ色々とニュアンスを込めた声で、ぜひぜひ聞きたい。
しかし、なんだな、現実として人間って、自分から遠いか近いかという一次元的な尺度でしかモノを比較できないのかもしれない。「敬遠」はあっても「敬近」はないもの。
行間から、それに対するため息と、だからこそおこるすれ違いに文学性が存在するという扉の向こうの希望の両方を感じたのは、私の誤読か言葉の綾か。