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天国へも地獄へも、道は善意の煉瓦で舗装されている

剥き出しの悪意に晒された経験は、残念ながらある。
辛かった。精神的に大きなダメージをおった。克服できたとは言い難い。普段は問題ないが、今でも調子が悪いときは、寝込んで動けなくなる程度のフラッシュバックがある。

それは1年程度でおわった。渦の中にいたときは、それが永遠に続くかとおもったが。

彼の悪意は苛烈だった。彼は、同調者を多く持ち、私という敵を追い詰めていった。長期戦になるにつれて、同調者が少なくなっていく。「転んだ」同調者は彼に敵認定される。そうして彼は、自分で認定した敵に囲まれ、何もかも燃やし、その苛烈さ故に最後は自分さえ燃やして去っていった。散文的に言えば、離職した。

かように、悪意を適度に持ち続けることは、案外に難しい。
火といっしょ。可燃物、高温、酸素という三要素がないと火は燃え続けることができない。敵、自分の中の熱、同調する人の三要素がないと、悪意は続けられない。
『モンスター』のヨハンのようなひとは、やはり異常なのだとおもう。

こういうのを経験すると、「地獄への道は、善意の煉瓦で舗装されている」というのは、信じにくい。

悪意という名の煉瓦は、作り続けるのが難しい。
そして、無関心という名の煉瓦は、焼かれることさえない。

しかし善意という名の煉瓦であれば、細いかも知れないが、長く作られ続けるのではないか。

私の立場から見れば、彼から受けた感情は「悪意」そのものだった。
しかしそれは、本人にとっては悪意ではなく善意だったのではないか。

私=彼が善意をもって守りたいものを損ねる毒だったと定義すれば、毒に侵された部分を削ってでも何かを守ろうとするのは、彼の善意だ。

彼は苛烈すぎたので、門に届くまでの道を舗装できなかった。
しかし、そこまで苛烈でなければ、十分可能だったろう。もしかしたら、私も協力をしていたかもしれない。

そして、自分が気づいているもの、気づいていないものを含めると、相当数、善意で悪意的煉瓦を焼いてしまったことがあるような気がする。
色の濃さは計れないが、私の手は赤く染まっているに違いない。

天に昇るも、地獄に堕ちるも、舗装されている道は、すべてに善意の煉瓦が敷いてあるような気がする。
煉瓦は、生涯に一つしか焼かないかも知れない。
しかし、「流れ」「空気」に流されて、善意で煉瓦を焼いてしまえば、その煉瓦での道はすぐに完成してしまい、しかもどこに続くのかわからない、ということになりそうだ。
後付けで、世界は○○の方向に狂奔していたと歴史学者がしたためることになるのだろう。

当事者である自分は、どんな煉瓦を焼くのか、それをどこに置くのか。
まだ舗装されていない獣道をみて、躊躇することすら許されていないような気がする。人生にはSaveボタンは、ついていないからね。