DESC法という考え方

"DESC法" を調べると、「考え方自体」と「省略方法」がおもしろかった。
DESC法とは、特に自分が不満に思っている状況に対して、自分の考え方をうまく相手に届けるためのコミュニケーションフレームワークのひとつ。頭文字D/E/S/Cの四つの構造に分けて、自分の主張を伝えようというもの。
以下、30分程度Webを調べただけで、書いてみる。

考え方

  1. D 現状を事実のみ、表現する。
  2. E 現状に対して、自分がどう感じたか表現する。
  3. S 相手がその状況におかれているということに共感を示す
  4. C 解決案を話し合う

実際の使用時は、必ずしもこの順番でなくてもよい、と書かれているものがほとんど。だが、この流れで考えるのが、一番自然だとおもう。

くれくれ君は、嫌われる

真剣にやっているときに「もっと真剣にやってくれませんか」といわれたら、どう思います?
ここだけ抜き出すのもフェアじゃないかもしれない。でも、前後に、どんないいことを言われていたとしても、自分のやり方に手抜かりがあったのだとしても、すべて台無しになる程度にはインパクトがある言葉だとおもうんですよね。
これに怒ってしまうのは、「悪いのは100%お前だ」という意味を言外に感じ取ってしまうからじゃないでしょうか。「おれだけ当事者で、お前は傍観者かよ」みたいな。
これは言い方の問題もあるとおもうんですよね。
『やって「くれ」ませんか』って、要求だけしていて、自分が何をやるか、何を負担するか、何もいっていないから。
奴隷じゃないんだから、ネガティブな感情が湧くのはしょうがないでしょう。それが強く出れば「怒り」だし、弱く出れば「倦怠」になっちゃう違いはあれど。そういう感情を想起されるひとは、嫌われても、しょうがないでしょ。
英語でも "he is demanding" といわれたら、直訳の「彼は要求が多い」という直訳的な意味よりも、「あいつはくれくれ君だ」くらいのネガティブな意味合いになりますし。社交辞令で「たくさん要求をしていただくおかげで、勉強になります」とはいってもらえますけど。

「くれくれ」いわない要求って、できるもんなの?

でもね、ひとに要求するってことは「○○してくれませんか?」になるのが普通じゃないかとおもいます。
そこで、このDESC法で大事なのはふたつ。

  1. 「お前がやれ」ではなく「いっしょにやろう」
  2. 要求までの地ならしをするということ

前者は、「お前がやれ」だと言われたら腹が立つよね、という前項に対するカウンター。一マイル歩けと強いられたら、二マイルいっしょに歩きましょう、というやつ。

後者が、DESC法の一番強調したいことなのだとおもう。

まず、状況を「客観的に」示す

「おまえ、遅刻ばっかりしているな」じゃなくて、「今週は3回遅刻してるね」。
前者は、相手に対する主観判断。責めているように聞こえる。
後者は客観事実。前者より、責めているようには、聞こえづらい。

ギスギスした環境で「判断」するのは、かなり予断が含まれるとおもう。すでに改善されていることを、過去の色眼鏡でみてたりね。それは「レッテル貼り」をしたように思われることが多く、益なく害が多い。

ついで、主観的に自分がどう「感じたか」示す

これも「判断」じゃない。
「朝一のミーティングの時間が不足して、困ってしまった」ということは、本当にそう感じていることを伝えるにはいい。
「遅刻ばかりお前がするから、おまえのせいでミーティングが進まないだろ」というのとは、大違い。

共感を示す

「残業が続いていて、朝ツライよなあ」などと、共感を示す。
上から目線じゃなくて、一緒の立場で話をしたいということを、再確認する。一方的に決めつけられるのはイヤだものね。
ま、勝手な推量で共感されると、かえって複雑になることがある。場合によっては、スキップしてもいい。
ここはちょっと注意して運用しないといけないとおもう。

解決案について、話し合う

「あと5分、早く着くようにできるかな?」というお願いでもいい。
「ミーティングの時間自体を変更するとすると、いつがいいだろう?」という議論に発展させるのも、あり。

……後半に向けて、例がしりすぼみになっているけど、これには理由がある。
DESCの定義が、微妙に違うのよ。

省略方法

Webで調べると、D/E/S/Cの元になる単語は、一定していないことがわかる。
これは、日本語の文献でも、英語の文献でも。

最初の二つは、ほぼ一緒。最後二つは、ちょっと違う場合がある。

  1. D for Describe
  2. E for Explain/Express/Expose
  3. S for Specify/Suggest an alternative // Show Understanding
  4. C for Choice/Consequence // Communicate an alternative

提案パートが、SかCか、という分岐があるのだ。

  • 提案パートが S の場合は、C は提案への返事に対する選択肢を表す。
  • 提案パートが C の場合は、S は相手への共感を示す。

個人的には、最後のCは "Communicate an alternative" がいいとおもっている。
なんでかというと、Choiceって、選択を「迫る」というちょっとした強制力が働く気がするから。

「5分早く来るか、会社止めるか、どっちがいい?」というのも Choice
でしょ? これは極端なクローズクエスチョンだけど、ありうるわけで。
あまり建設的ではないとおもうんですのよ。

それよりは、オープンクエスチョンにできる "Communicate an alternative" 「代案について話し合う」のほうが、いいような気がする。

もちろん、たたき台に乗せる案は、話しかける方がもっておいたほうがいい。上司などに話をする場合、現状報告だけだと物足りなさ過ぎるしね。また、「さあ、さてどうしましょうか」と二人で困りあってもしょうがない。

とはいえ、最後が「Choice/Consequence」になっているのが悪いという事ではない。とくに怒りをぶつけようとするとき、あるいは超理不尽なひとに相対しないといけないときは、最後はクローズドクエスチョンにして、「Yesなら○○、Noなら××」という流れを決めておくと安心するから。使い分けが大事だとおもう。

隠された前提条件

しかし、これだけを覚えていても、前提になる考え方を理解しないと、どうやら表面を撫でただけになりそう。その前提とは、「コミュニケーションは、相手を責めるための道具ではない」ということ。そして、「自分にとって理不尽な行動をするのは、その人がその行動を取りたいというよりも、何か別の理由があることが多い」ということ。


間違っているのは、自分かもしれないよ

学校でも会社でも家庭でも「お前が悪い」といって責めるひとがいる。
その責め方がおかしいなとおもったら、自分の感じ方がおかしいのか、相手がおかしいのか、ちょっと引いて考えた方がいい。

自分の感じ方が、たしかにおかしいこともある。気づかないのは罪だ。指摘が正しいと思えば、いいかたが多少おかしいと思っても、それを引き受けて改善するしかない。しかしなんでもかんでも、自分に非があると考えると、メンタル的に壊れるので、ほどほどがいい。

やつあたりかもしれないよ

相手の責め方がおかしいとおもったら、実は他の人にアピールしたくて、無意識にそういう(変な)行動をしているのかもしれないという視点の切り替えを覚えておいて損はない。
例えば、上司に理不尽な要求をされていて、離婚問題を抱えていて、期末試験の結果が悪くて、精神的に一杯一杯なとき。「自分は悪くない。環境のせいだ!」と叫びたくなる気分になるのは、ま、しかたない。人間だもの。

そんな気分のときに、ふと通りがかってしまったら、不運とおもって諦めたほうが、いい。生きていれば、やつあたりくらい、されるさ。自分も、無意識にやってしまうことがあるはずだから、お互い様。

やつあたりが量的にも質的にもエスカレートし、自分でスルーできない程度になったら、それはスルーし続けてはいかん。でも、DQN返しは、ただの泥沼へのプレリュードなので、それもいかん。

ガマンせず、DQN返しもせずに、状態を改善するためのいいかた、そのひとつが、DESC法の考え方だ。

深追いしちゃダメよ

もうひとつ。相手のその根本原因を解決しようとしてはいけない。
それは、相手のプライベートな問題。当事者じゃないものが、土足で入るところではない。あくまでも、相手が自分のテリトリーを侵害しているところに対してのみの、防衛方法だとおもったほうがいいんじゃないかな。

ひとのマインドを変えることを求めるのは、ちょっとやりすぎだとおもう。わたしは自分の人生を背負うことで手一杯だから、そこまではリソースを割けない、というのが正直なところだ。

途中でいろいろ別のことをしたとはいえ、調べるよりも書く方が時間かかるね(^^;