cafe de nimben

見たものと、読んだもの

フライングで、夏越の祓に行ってきた

色々大変だった今年の前半戦。リフレッシュもかねて、いつも初詣に行く神社に、「夏越の祓」のフライングをしにいってきた。「茅の輪くぐり」は、なかなか楽しい。

何もしないでほっておくと自分の中に穢れがたまる。知識としてではなく、そういうイメージを自分はおそらく小学生のころから持っている。自分の精神が卵の形をしており、祓いがあると、上から水が注がれ、表面の穢れが取れていく。全部はなくならない。祓いという水が直接あたらないところにはカビのように黒い場所がちょっとだけ残り、再び少しずつ侵食されていく。いずれかのタイミングでまた払う、というイメージ。なぜか教会でお祈りをしているときに鮮明に思いついたのが中学生のころか。

ああ、何か神社仏閣にいきたい、というときは、自分のなかの穢れを祓いたいと無意識におもっているのだろう。

ただ、ロジカルには変だと思うのだが、祓われると感じるのは、神社仏閣に限らない。それは教会でもよい。宗教施設である必要もない。大きな公園の芝生だったり、樹齢数百年の大きな木だったり、沢の水だったりする。たぶん何か、超人間的なものであればよいのだろう。

自分で自分の人生の全てを背負うことができないとわかってから、自分以上の何かに頼るという考え方は、軟弱なのではなく、生きるためのどうしようもない方法なのだと思い知りつつある。