cafe de nimben

見たものと、読んだもの

四月は君の嘘(アニメ)

減点法だともう見なくなるはずなのに、目が離せないものが希にある。
たとえば私にとってのこのアニメがそうだ。

たとえば主人公は天才ピアニスト中学生だったのだが、とあることから弾けなくなってしまう。
譜面からはオタマジャクシが消え、自分が弾いた旋律だけミュートされる。あせり、こわばり、止まってしまう。

私にも似た経験がある。本を読んでいてもまったく字が意味を持ったものとして入ってこなくなったことがあった。
だから、なんとか立ち直って欲しいとおもってしまう。
その悲劇のど真ん中にいる主人公に対して性急に場に引きずり出す同級生に対してむかつく。
壊れたらどうするのだ!
……まったく合理的ではない。ハッピーエンドだろうがバッドエンドだろうが、フィクションの世界の話だ。

青春ものを大人になってもみることは、果たせなかった青春の輝きをフィクションを通して追体験するものだ。
わたしは、自分の過去のつまらなさを、フィクションに仮託して救おうとしているのかもしれない。

わかったうえでなお、私は祈る。
彼がふたたび人前でピアノを弾く日がくることを。