cafe de nimben

見たものと、読んだもの

ユーモアは通じないとおもって生きて行く

もちろん楽しいことは好きだ。楽しさを共有することも好きだ。冗談が通じる相手との取り留めもない馬鹿話は心がほぐれていく。だがそれは普遍的なものではないということを、肝に命じなければならない。

多くのいじめは、「冗談だよ」「冗談の通じないやつ」という一言で、被害者の方が悪かったことになる。そんな場面をよく見てきた。

その差は何か?

価値観が共有されているかどうかだとおもう。

価値観のなかには、ひとに土足で踏み込まれたくない領域がある。そこは自身の奥底にある、とてもプライベートな場所だ。

そこに対しては、尊重をもって接するしかないとおもうのだ。自分から見てどんなに愚かなことであったとしても。愚かに見えるのは、自分の目が腐っているからかもしれないから。それが多様性というものだとおもう。

もちろん価値観への好みはあるので、それは自分の感情を尊重する。相入れなければ距離を置く。逆もしかりで、距離を置かれることもあるだろう。

それだけのことだ。過剰に自分を「矯正」することも、他人を「矯正」することもしない。ただ、折り合いをつけて生きていく。

無条件で自分の価値観が人に通じるなんて思わない、さびしいけど。
ただ、だからこそ、通じる相手とのおつきあいは、何者にも代えがたいんだとおもう。