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『フリーダムライターズ』2007年米

おっさんになってきたせいなのか、改革する側とされる側の両方の痛みが感じられて、とまどってしまう。

若い頃は改革される側の「良きことを成す」正義感に酔っていたのだろうね。


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この話は1994年の話だということに、びっくりする。
リンカーンの奴隷解放でも、ケネディのときの公民権運動も、すでは遥か昔になっていた、20世紀の終末期にも、こういう差別概念は息づいていることの根深さというネガティブさと、それを隠さずに映画として晒すポジティブさの両方に、驚きを禁じ得ない。

教育現場における差別撤廃政策で、エリート高校に黒人やラティーノがやってきた。
彼らは、教育を受けてきていない。「ホロコースト」もしらない。そんな暇があったら、殺されないように息を殺して生きていくか、ギャングの片棒を担ぐしかない。親戚の中で高校を卒業したものは少なく、そもそも18歳まで生きていられるのかわからない。

そこの国語教師 Ms.G が、あの手この手をつかって、国語に興味を持たせて、という実話の脚色映画。

Ms.Gのやりすぎ感は、離婚ということでバランスを取らされることになる。

夫の立場からすると、自分との時間を大切にせず、課外授業のための費用を負担するために、国語教師以外に、ブラ販売店員やホテルのconciergeもして、金を稼ぐというのは、自分がないがしろにされているとおもわれてもしかたがない。

Ms.G はそれでもなお、生徒のほうをとる。モーレツ教師である。

いやなヤツから哀しいヤツに見方がかわっていくのは、イメルダ・スタウントン演じるマーガレット主任である。

彼女は教育を愛している。古き良きエリート校の歴史だ。
彼女は教育をないがしろにするものを憎んでいる。
教材を盗み、破り、ないがしろにする黒人には、教育をする価値はないと信じる。
教育とは神聖なものであり、それに対するものは、邪悪だからしかたがない。
教育政策のせいでこの理不尽に耐えねばならない。屈辱である。

やっと隔離していたところにMs.Gなる、神聖さをなんたるかわからない経験不足の若い女教師がくる。
黒人に教育を、新品の本を渡して理解させるだと。「アンネの日記」? 「ロミオとジュリエット」?
バカバカしい。そんなのは試して、完膚なきまでに裏切られた。
もし渡せるとすると、使い古しの、子供用のダイジェストだ。それで十分、教育委員会への義理は果たした。ああ、汚らわしい。

課外授業にいくための、寄付募集? バカバカしい。
それを教育委員会の博士が許可をだした? 人の頭越しに何をやってくれているの?
アンネをかくまったヒースさんを呼ぶ? バカバカしい。
新聞にどんどんのって悪めだちをして、ヒーローヅラをして、教育現場を荒らしていくこの尻拭いを誰がすることになると思っているの!

まあ、いい、自分の教室の中で何をやろうと、それは無視する。
しかし、経験不足のために3年生以上は受け持つことができないというルールを破って、こちらの中を踏みにじろうとするのは、絶対に許せない!

老齢のマーガレット主任の、少し白濁した青い瞳の奥にあるのは、恐怖と怒りだ。
それは、今まで生きてきた自分を否定されるという、個人的なものでもある。彼女の個人的痛みは、彼女が同化したと思っている神聖なる教育を侮辱するものだ。

そこが、老害の怖さと哀しさなのだろうとおもう。

彼女は、神聖なものに仕えているとおもっている。
ただ、いつの間にかずれている。
神に仕えているはずだったのに、神の正義、神の力に仕えている。
教育とは、教育を侮辱するものにさえ施すものではないのか。それをより効率的に行うための手段が、教育制度なのではないか。
教える対象がエリートから地区の中学程度の教養もないものにかわったことは、聖職者育成から一般ピーポー育成に変わったということなのだ。
それは世界が変わったということだ。

変わったのに変わっていないと信じて、自分の進行に殉じて、世界を否定することは、やはり老害と言わざるを得ないだろう。

自分の身に置き換えてみると、老害になるポイントをきちんと理解して、自分の環世界と折り合いをつけていけるのか、これはなかなか難しい選択だなとおもった。

マーガレットは、自分を変えるチャンスに気づくことが、この先の人生であるのだろうか。
おそらく、自らの理想を抱いて溺死することになるのだろうが。いつか、気づいて欲しいとおもう。

ヒラリー・スワンク演じるMs.Gと、その合わせ鏡のマーガレットを対立の軸に置いたこの映画脚本は、とても素晴らしいとおもう。