小説脳を取り戻す

いまは、久びさに小説を読んでいる。

小説脳は、世界を構築する力だと思っている。
ゼロからつくれれば、それは作家の力。読み手も書かれているものを脳内で再生する能力が必要だ。

それは論理性だけだもだめで、その世界の、そよぐ風、木々の緑、どぶの臭気などを想像し、主人公や地の文と寄り添う。ヒロイン、ヒーローを愛し、悪役を憎み、友人に感謝する。そういう世界を頭のなかで立ちあげる。

そのせいか、小説/映画的な夢をよくみる。
映画のシーン的なものがいくつか絵として頭にのこったりする。

キャラクターがよくわからない。
知り合いが、見た目だけはそのままだが、中身は完全に別人として出演することもあれば、テレビや雑誌でも見たことがないひとが出てきたりする。

若気の至りで小説もどきを書いていたとき、一番苦手だったのがキャラクター造形だ。物語をかくことには興味があったくせに、ひとがたりが書けなかったのだ。薄っぺらいものしかできなかった。でも夢のワンシーンって、キャラが立ったひとがわんさかと出てきてくれて嬉しい。
冗談半分に夢は平行世界を覗いてくる行為だといいたくなるときもあったほどだ。

このため、夢だからストーリー性は破綻しているものの、出て来る絵力はなかなかよくって観客としては楽しい。

もちろん多くは出勤時間までには忘れてしまうのだが、一時の楽しみだ。

寝ないと楽しめなくて、確実に楽しめるかどうかもすぁからないものを、ある程度楽しめるようにコントロールできるのが、小説や映画なのかもしれません。