落合陽一『魔法の世紀』PLANETS/2015

たまにこういう本を読まないとダメだなあ、と感じた。

学者、アーティストの視座からの展望なので、日頃いるビジネスレベルよりも遠いところを見ているから、とても面白い。
魔法の世紀

魔法の世紀

 

 

最初に彼を知ったのは、テレビだった。音波でものが浮いている様子を見せていた。
頭が凝り固まっていると思ったのは、それを見て「へえ、だから?」という感想しか最初に出てこなかったところ。
でも、何か心に引っ掛かりがあって、名前を覚えた。落合信彦の息子、というのも、記憶保持の役に立った。
Kindleの日替わりセールで安くなっていたので購入、という経緯。
 
自分の勉強不足で前提知識がなくて理解できないところ、知識としては知ってるがおそらく解釈とそこからの展開の方向性が違っているのか、概念をとらまえきれていないところ、自分の考えと違うところがあるので、なかなかエキサイティングな読書体験だった。
 
私が一番面白いと感じたのは、バーチャルとリアルの境目が滲んできているということ。いままでは、マウスを動かすとスクリーンでポインタが動くように、リアルがバーチャルに入り込むこと。いまは、IoTのセンシングとオンデマンドを活かしたデジタルサイネージのように、バーチャルがリアルに対して二次元でパーソナルに干渉し始めている。これからは、バーチャルの側からリアルの方に、もっと三次元で干渉すること。
 
ま、確かにSFチックではある。ビジネスよりアートの切り口から未来を提示していくのに "deploy or die" 方式でいくというのも極めて現代的だ。
 
コンピュータのほうが人間を超えるシンギュラリティが起こることを前提にしているっぽいよね。ポストシンギュラリティ。GoogleのAlphaGoの勝ちっぷりをみると、まじめにそこを考えないとアウトかもしれないとおもう。
 割と中学生的なSF気分で頭の中がかき回されている感じが、メタに面白い。
 
確かに「いま」は、その機械がないと何もできないので、こけ脅し的なものしかできない。でもこれが、動くプロトタイプとしたら、技術的要件が整ったら何ができるか? そんなことを考えた時の未来の広がりようを妄想できない自分になかなかの絶望感を感じたよ。「いやいやもっと自分のほうが面白いことを思いつける」と戦いを挑めるのか、それとも、「ああおもしろかった」で終えるのか、なんか試されているような気がする。
 
いや、考えてみたんだよ。
ただ、残念ながら、自分では頭の中にディストピアしか思い描けなくって。
 
麻薬のように美しい体験を求めていくと、脳が理解すれば、それはリアルがバーチャルかを問わないことになり、『トータルリコール』の夢を買うところ、あるい は『マトリックス』的なところに帰結してしまうのではないか? 例えば僕は100メートルを10秒切って走ることはできないわけだか、それが感覚的には体験できるようになるかもしれないんでしょ。とはいえ実際の体はつ いていかないから、そこの齟齬で事故が起こりそうだし。
また、そういう世界でどういうビジネスをしていくと、価値が生まれ、人様は買ってくれるのか。人を食わせていけるのか。
人類進化の最大の枷が、人類自体になりつつあるのではないかとか。
また、前提条件である電気とクラウドの安定供給は果たして可能なのか、とか。話が二極に分かれて凄まじいダイナミックレンジだなとか。
そうなると風呂敷が広すぎるから自分が生きている間は、という時間軸でいくとどこらへんまで実現可能なのかとかとか。
 
うーむ、何をもってHappyとするか問題もありつつ、なんとかユートピアのほうに持ってこれないか考えてみよう。負けないぞ。