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見たものと、読んだもの

庵野秀明『シン・ゴジラ』2016

2016年のいま、日本人が映画館でみるべき映画。

サブタイトル通り、「日本対ゴジラ」であり「現実対虚構」の物語。

ゴジラシリーズの過去作、みてなくても大丈夫。現代日本に投げ込まれた異物を味わうだけなので、なるべく頭に事前情報を入れずにGo。

 

www.shin-godzilla.jp

以下、ネタバレつき。

ゴジラという虚構以外を徹底的に現実として描くため、フェイクドキュメンタリー映像から始まる。

絵は、ほとんどがエヴァの戦闘シーンの実写化。

しかし、「みんな死んでしまえばいいのに」を描いたエヴァとちがって、「おれは政治家として、みんなを殺させない」という映画。見終わったあと、すごく元気がでた。

くだらないことをいっていないで、仕事するんだよ!

 

描き方

緊急事態への対処に振り回されて時間が圧倒的に足りない切迫感が物語の原動力。

ノイズは徹底的に排除されている。家族も、恋愛も、仕事の邪魔をするバカな上司も。敵はゴジラだけ。

人間側の現場責任者としてゴジラ対策にあたる矢口蘭堂内閣官房副長官にカメラは張り付く。

内閣官房副長官というポストが絶妙。内閣官房は、内閣総理大臣を助け、すべての官僚を統べる役割なので、いろいろな省庁にパイプをもって動くことができる。省庁横断のチームをつくるならここしかない。副長官は、3名いて、事務方一人、衆参議員から若手のホープが一人ずつ。(矢口はおそらく衆議院政務官として拝命)現職の安倍首相も、内閣官房副長官出身。うまくすれば10年後に首相が狙えるというのは本当の話。

市川実日子などのあぶれものが集まって、オーソリティーにはできないことをやって世界を救う、という俺たちの映画、でもある。このプロットは、手垢がつきすぎている王道だが、それでもここまで直球で投げられると爽快。

あと、おっさん達もこの機会に成長していくのも痛快だ。さいしょは、どこの省庁担当でやるのとか、ぐちぐち言っていたのに、「わかった、決断する」にかわっていく。

エグイ描写

東日本大震災津波によりボートが道に上がり通路を押し流していく姿、ヒロシマナガサキの原爆直後のモノクロ写真。フクシマ の放射能問題。日本にある甚大災害の歴史を畳み掛けるような見せつけ方。これは、特に東京のひとは、実際の街が壊されていく恐怖と絶望(ひとによっては喝采)を 圧倒的なリアリティとして味わうことになる。

これは現代日本人だけに許されたリアリティセットだとおもう。海外の人がみて、これほどのリアリティは感じることができない。10年後にみても、たぶん違う感想になる。だから、今、みるんだよ! 劇場に行け!

絶望のなかにの越された希望

ゴジラは沈黙させた。ただこれは勝利を示すものではない。ターミネター2でいえば、T1000が一旦凍結しているところ。いつゴジラが再生するかわからない。カウントダウンは休止しているだけで、何かおこればすぐに再開。東京は熱核兵器のターゲットのままだ。暴落した株価と為替、東京という日本の経済首都をゴジラに灰燼とさせられた日本。

スクラップにされたとはいえ、今までも立ち上がってきた。おれたちは何回でも立ち上がる。熱いぜ。

さて、ここらへん、ファンタシーとしてみるか、何かの寓話としてみるか。さてどっち。

このあたりは、オリジナルの『ゴジラ』のプロットをわりと忠実になぞっているのではないかとおもう。といってもわたしは『ゴジラ』は第1作しかみていないのだが。

 

 

2D/4DX

4DXで鑑賞。ゴジラが歩くのに合わせて振動がくるとか、戦闘ヘリのガトリングガンにそってプシュプシュと空気がでるくらいは想定内だったのだが、カメラの移動にあわせて座席がうごくのは想定外だった。わりとこの演出は気に入っている。

ただ、4DXが映画かというと、ちょっと違うだろうと思っている。これはアトラクションの一部だとおもう。ぼくのなかで映画は、映像情報をもとに、脳内で匂いや感触を再生するものだから、それに近しいものが外側からやってくるのは、映画としては違和感がある。体験としては楽しいんだけどね。これは4DXの演出の歴史が浅いから感じるだけで、もっとこなれてくると面白いのかもしれない。

ただ、この『シン・ゴジラ』は、かなりオリジナルのゴジラに寄り添った形のリブート版なので、オリジナルの第1作との比較という意味で、ふつうの2Dでだけみてみたい気はする。

あと、4DX演出するなら3Dで撮ればよかったのに、とも思う。ポストスクリプションでどうにかなるんじゃない? だめかしら。3Dだともっと絶望できるとおもうけどね。

2.5次元映画として

冒頭にも述べたように、基本的にはエヴァである。

こういうものはアニメでやるべきだとおもっていた。3次元でみせられるとチープさのほうが出てきてしまい、覚めてしまうからだというのが持論だった。いまは、それが揺らいでいる。

アニメは、どうしても市場が小さい。アニメだからみない、というひとは多い。実写でないと大量の動員はむずかしい。

ハリウッドでは2.5次元映画はすでに主流だ。『ミュータントタートルズ』『トランフフォーマー』なんてそうだし、その始祖は『マトリックス』かなとおもっている。

でもそれができたのは、圧倒的なお金の力をポストスクリプションにあてること。実際の撮影よりも、事後のCG処理などのほうが時間がかかるというのは、もはや常識になりつつある。

日本でそれをやるとチープすぎてどうにもならないとおもってきた。

寓話であり戯画であるので、頭の中では映像をアニメ化している自分がいた。そぎ落としすぎて人間っぽく見えていないのかもしれない。

そのままするっと、劇映画としてぼくはこの手の映画をみれるようになるのか、ちょっと怖くもあり楽しくもある。

 

などなど含めて、今の所、今世紀で一番面白かった。