私にとって、紙のきんきらきんは、2種類ある。狩野派と琳派だ。
いまは軽妙洒脱がとても好みなので、昨年末から楽しみにしてきた。
時代的には、異国船が来始めて、江戸から明治への動乱期に差し掛かろうという時期。絵師としては、若冲より50年くらい下がりの、国芳や広重とほぼため年。師匠の酒井抱一直系の弟子。
で、うーん、鈴木其一って、なんとなく自分の中の琳派からははみ出していることがわかり、そしてそのはみ出し方が心地いい感じ。
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(左隻/ public domain)
作者 Suzuki Kiitsu (Tokyo Fuji Art Museum) [Public domain], ウィキメディア・コモンズ経由で
ちょっと襖が金箔で覆われていないのが琳派っぽくないけど、墨のたらしこみや風神雷神の顔や所作は「ザ」って感じ。
ほかにも、『群鶴図』『夏秋渓流図屏風』などなど、「ザ」がつくものいっぱいある。
ここらへんをみてて琳派だねぇと悦にいっていたときに、ふたつ、疑問が湧いてくる作品に出会う。
ひとつは、動植物を描くときの繊細さって、伊藤若冲に似てない?、という点。
『鈴木其一の画風形成期における諸派習得の様相について』という研究があるので、参考にされたし。若冲の名前はでてこなかったが、いろんな画風を学んでいた様子が記述されている。
もうひとつは、きらきらしくない『十二ヶ月花鳥図扇面』とか『吉祥天女図』とか。画面がね、白いんです。余白で。その余白が憎いんです。そして、写真で切り取ったような静謐感。描いてあるところは被写界深度深めに精彩に記述。それ以外は記述しない。そういうミニマルな感じ。
ここらへんの静謐さが、ぼくにはかなり好みだった。琳派っていうのでひとくくりに考えちゃいけませんな、という広がりを感じられてとてもラッキーな展示会でした。