年間アクセス一位は、3年連続3回目で、
ほかにアクセスをとるような記事を書いていないので、この記事が強いというよりも他が弱いということではないかとおもいつつ。
この詩は、とても哀しい。
死が近い。死は不可避なものだと理解する知性がある。そう、奇跡など起こらないと知っている。
たとえそうであっても、最期の瞬間まで、あの広い頼もしい背中をみせて、お願いだから足掻いてほしいという、子から親への、理性は諦めろと言っているが諦めきれないやり場のない悲しみと怒りの吐露だ。
そこが人間らしくて、心に届いてくるのだろう。
『インターステラー』のなかでは、父と理性の代表としてマイケル・ケイン演じるブランド教授。彼は賢いが故の脆さがあるが、彼に対する宣戦布告としてこの詩があるようにおもう。
根性論で頑張れ、という映画も本もたくさんあるが、知性を持ちつつバランスしながらもなお最後は根性で、というものは少ない。そういう意味で、この詩は、やはり『インターステラー』の背骨のような気がする。