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見たものと、読んだもの

大西巷一『乙女戦争 ディーヴチー・ヴァールカ』 (アクションコミックス)

ミュシャ『スラブ叙事詩』の「言葉の魔力」にでてくるヤン・フスというひとってどんなひとかと調べてみてぶちあたったコミック。なんちゅうか、悲惨。まだ連載中で7巻まで出ています。巻末解説で、どれは創作、それは史実、みたいなことも書いてありますので、『スラブ叙事詩』の参考文献としても楽しめるとおもいます。

 

スラブ叙事詩と戦争の悲惨さ

『スラブ叙事詩』ではクロアチアの司令官ズリンスキーによるシゲットの防衛 — キリスト教世界の盾』のみが、戦闘シーンが描かれている。他は戦闘後の暗澹たる光景はあるが、直接は描かれていない。ただ屍体と嘆く生きているひとが同時に描かれるだけだ。

グリュンワルトないしタンネンベルグの戦いとヤン・ジシュカ

たとえば『グリュンワルトの戦闘の後 — 北スラヴ人の団結』

After the Battle of Grunwald - Alfons Mucha.jpg
By Alphonse Mucha (1860–1939) - http://www.pricejb.pwp.blueyonder.co.uk/slav-epic/10.htm, パブリック・ドメイン, Link

 

「グリュンワルトの戦い(Grünwald suğışı)」はタタール語。ドイツ語だと「タンネンベルグの戦い(Schlacht bei Tannenberg)」となり、1410年にポーランドリトアニア連合軍とドイツ騎士団とで戦われた。ミュシャではなく、マテイコによるこの戦いの絵では、中央の赤い衣装をまとっているのが、若きヤン・ジシュカ。フス戦争の最重要人物のひとりでもあり、『乙女戦争』の影の主役でもある。このとき、彼はポーランド軍についている。

Jan Matejko, Bitwa pod Grunwaldem.jpg
By ヤン・マテイコ - http://cyfrowe.mnw.art.pl/dmuseion/docmetadata?id=4799, パブリック・ドメイン, Link

ジシュカはスラブ叙事詩にもちょっと描かれている。スラヴ叙事詩ベトレーム礼拝堂で説教するヤン・フス — 真実は勝利する』だと左下で壁を背にして静かに座っている眼帯をした男だ(この図版だとみづらいので、ぜひ現場でみてみてください。瞑想しているような、深く考えているような、静かな感じです)

Kazani mistra jana husa v kapli betlemske 81x61m.jpg
By アルフォンス・ミュシャ - http://russianculture.files.wordpress.com/2010/12/kazani_mistra_jana_husa_v_kapli_betlemske_81x61m.jpg, パブリック・ドメイン, Link

 

フス戦争の年表

1410年、タンネンベルグの戦い(ジシュカ36歳)
1411年、宗教改革の先駆者であるヤン・フスが、カトリックから破門
1415年、ヤン・フスが異端として火刑に処される
1419年、第一次プラハ窓外投擲事件。フス戦争開始。
1420年、第一次反フス派十字軍(フス派勝利)
1421年、第二次反フス派十字軍(フス派勝利)
1422年、第三次反フス派十字軍(フス派勝利)
1424年、ヤン・ジシュカ死去 (ペストによる病死。享年50)
1426年、第四次反フス派十字軍(フス派勝利)
1431年、第五次反フス派十字軍(フス派勝利)
1434年、フス派内部抗争により、穏健派が急進派を皆殺しに。
1439年、ポーランド王による取り締まりで、フス派壊滅。フス戦争終了。 

(1517年、マルティン・ルターの95ヶ条の論題。よってフス派は宗教改革の先駆けともいえる)

 

反フス派十字軍が五回も結成されて、その悉くを退けたということが奇跡ならば、奇跡の現場は悲惨なんだろうなとおもったら、おもったよりも悲惨だった。 

日本であれば室町時代、三代将軍足利義満が亡くなったあとくらいだから、日本では銃を持った戦いはまだない。しかし、冒頭シーンは、乙女がなぜ銃を持って戦うことになるのかを示すところから始まる。銃はヨーロッパ史上初めて実戦に投入されたマスケット銃(先込めでライフリングがない、火縄銃)。

 ということで、このフス戦争を描いたのが、この『乙女戦争』。

スラブ叙事詩の背景をしるには適当とおもわれるので、ぜひ。

作者による、関連解説はこちら。

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