迫力。
キューレーションが音楽的。
サビ、イントロ、Aメロ、そしてサビ。
サビから入って、再びサビを観て終わる。滞留しようとすればいくらでも滞留できる感じの繰り返しがミニマリズム系で、キューレーション自体が草間的ともいえる、かなり練りに練った構成。出ている作品群も、作家蔵のものから、現在休館中の東京都現代美術館のものをはじめ、世界からかき集めているのもすごい。
これは、美術展というよりも、体験型アミューズメントパークですわ。
サビ
1. 21世紀の草間彌生(1)
サビである『わが永遠の魂』。
これを入り口入ってすぐの大きなぶち抜きの空間に、壁に縦三段に44セット合計132枚。隙間なく並べる。壁一面のクサマ。隙間のなさ自体がまたクサマっぽい。
それだと真ん中がスカスカになるかといえばさにあらず。
ひとの身長よりも高い、花の造形がうねっている。
このなかは、どう見てもいいし、携帯電話で写真をとってもよい。
公式な写真はこちらからも見ることができる。が、このサイズだとわかりづらいか。
みんな自撮りしている。そして、言葉は「うわぁ」「すげぇ」というような、感嘆語しかでてこない。
この迫力を、「生命感に溢れる」とポジティブに解釈するひともいるし「気持ち悪い」とネガティブに解釈するひともいる。
そんな混乱と混沌とアクリルによるきれいな色の奔流をお散歩する感じ。
題と絵を見比べてもさっぱりわからないが、きれいな発色でどでかくかかれると、なんか楽しくなってくる。最初は全然わからなかったのに、自分のなかの変化がおもしろい。
イントロ
ここからは編年体で、1939年の作品から展示されている。
2. 初期作品 (渡米前:1939−)
3. ニューヨーク時代(1957−73)
4. 「21世紀の草間彌生(2)」(箸休め的な挿入)
イントロの感想
渡米前はなんか病んでる感じがした。まあ芸術なんてどう病んでいるかという話なような気もするけど。
草間のルーツが幻聴幻覚であるそうで、それがネガティブにでている病み方ではある。みてても正直、陰鬱さがつたわってきておもしろくはなかった。でも、ブツブツモチーフはすでにこの時代からあるんだなという感じ。いわゆるアウトサイダーアートとなんか共通点がある気がした。(wikipediaによると統合失調症らしいので、そういう共通点なのかもしれない。といっても知ってる母数が少ないので、ほんとうに関連付けていいのかよくわからないが)
それがニューヨークにいって、ウォーホルっぽいコラージュアートだったり、リヒターみたいな抽象画だったり、なんか色々と試行錯誤がみてとれる。60年代は「前衛の女王」とニューヨークを中心にいわれていたらしく、62年にはウォーホルとグループ展示もしていたようなので、相互に影響を与えあっていたのかもしれない。
パフォーマンスアートの動画上映もあったが、たぶんああいうのってその場にいないとなんともなあ、という気がする。実際のパフォーマンスアートだと偶発的にテートブリテンで出会ったのだが、あれは、訳の分からなさが面白かった。あれは、録画みてもおもしろくないとおもうので。
イントロのなかでの好み
この時期のなかだと個人的な好みは、「Untitled(No. White A.Z.)」1958ー59年(静岡県立美術館蔵)でした。minimalismっていうんですね。
でも、このなかの展示で一番すきだったのは、『生命の輝きに満ちて』(2011)です。これは下も上も左右前後にも鏡がはめられた暗い部屋で、うえからLED(?)の小さいランプが三次元的にたくさん配置されていて、合わせ鏡で上下左右が生命の星の輝きにみちていく。
これはその部屋のなかを歩けるので、ぜひどうぞ。
Aメロ
5. 帰国後の作品(1970−2000)
だんだんそれらしくなってきたように見えたのは80年代。
男根的な三次元アートもあるが、やはり、かぼちゃとドット系。
色がどんどん綺麗になっていき、アクリル絵の具からそのまま出したようなくすみがない色づかいになっていく。真っ白に真っ赤とか、オレンジに真っ黒とか。洗練といっていいのか、草間に対して洗練といっていいのかわからないのだけど、わたし的には、洗練とポジティブと生命力という感じになってきた。
黄樹↓
かぼちゃ↓
そして最後にもう一度、サビ「1.21世紀の草間彌生」の部屋に入ってから、外に出る感じ。
おまけ:美術館の外も草間。
六本木側は、木が草間布に覆われている
乃木坂側には、かぼちゃ。
半券があればあなたも草間の一部になれる。
丸いシールを渡されるの、すきなように貼っていいお部屋。報道資料だと、壁も家電もぜんぶ真っ白だったのだけど、もう極彩色。
参考
※パフォーマンスアートに出会ったときの体験