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見たものと、読んだもの

スティーブン・カンター『ダンサー、セルゲイ・ポルーニン 世界一優雅な野獣』2016 英米

19歳と言う史上最年少で英国ロイヤル・バレエ団の男性プリンシパルになったセルゲイ・ポルーニン/Sergei Poluninの半生記をドキュメンタリーで。

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惹句に関してはオリジナルが一番かっこいい。

"I didn't choose ballet, it's who I am" / 私がバレエを選んだわけではない。私がバレエだ。

極端なものの言い方をすれば、この話は陳腐すぎる。

昭和のバレエ漫画でもありそうな話だ。

天才の出現、離散する家族、異国での苦しみと突出した才能、太陽に近づきすぎた天才の墜落、そして復活。

しかし陳腐さを全て叩きこわす、セルゲイの踊りの力が圧巻。

序章

現在から、物語は始まる。体が怪我だらけで、「いやー、これ米軍が作ったヤツみたいなんだけど、これ飲んで踊ると、翌日に全く疲れが残らないんだよねー」みたいな、ロシア語訛りの英語でヘラヘラと話す。体は刺青だらけで、バレエダンサーとしては似つかわしくない。しかしその鍛え上げられた体は彫像のようである。

そして、かかるBGMはブラックサバスのIron Man。

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セルゲイの「復活」を表すのにこの曲でいいのかと思いつつ、この曲を当てたってのがイギリスっぽい。

ダンスシーンが、始まる。

私はこの人を知らない。日本語のwikipediaにも載ってはいない。素人が見てもわかる。彼はすごすぎる。英国ロイヤル・バレエ団が彼をプリンシパルとして抱きながら日本公演をしていたら、一夜でファンが雲霞のように出現しただろう。いや、比喩ではなく、確かに彼はバレエだ。

でもなぜ、彼はこう言う経歴をたどっているのか?

そこから、彼の半生を時系列で追うことになる。

公開まもないので、ここからネタバレありで。

 

天才の苦悩。家族の不在

うまく踊れない壁にぶち当たり、そしてライバルが出現し、切磋琢磨しながら最終的に壁を破り、と言う「努力/友情/勝利」的な価値観で綴られるのだろうけれど、そんな描写はない。

英国ロイヤル・バレエ団のスクールに入った時の授業の様子が出てくる。将棋の藤井四段を評した高野六段の名言「『性能の良いマシンが参戦する』と聞きフェラーリやベンツを想像していたらジェット機が来たと言う感じ」が一番近い。圧倒的すぎる。

英国ロイヤル・バレエ団に入って一年でプリンシパルですからね。ソロを踊っていてもプリンシパルよりも目を奪われるので、それで異例の即昇格。化け物かよ。この辺りの踊りは豊富な映像をご堪能あれ。

しかし苦悩は、家族の離散。

生まれは南ウクライナの貧しい地域ヘルソン/Kherson生まれ。

セルゲイが1989年生まれ。ソ連崩壊でロシアの一部と言うのがふさわしかった時代を終えて、新独立国家ウクライナができたのが1991年。通貨はソ連時代はロシアのルーブルを利用、独立してからは1992年に通称クポーンと言う通貨ができたが超インフレ。1996年に実質的なデノミで、現在も利用されているフリヴニャに変わった。

こんな通貨が不安定な時代に国内で働いて、高額のスクール費なんて払えるわけがない。首都キエフのバレエ学校に通うため、父はポルトガル、祖母はギリシャで国際出稼ぎ。とても合理的な稼ぎ方だったはず。代償は、物理的に家族が離れ、家族の心も離れてしまったことだ。特に、両親の離婚がセルゲイの心にダメージを与える。離婚を知ってから、「もう誰も愛さない」と言うモードに入ってしまう。

カルテットの名セリフではないが「愛は溢れてしまうもの」だから、愛することをやめたり、愛されることを求めなくなるなんてことはできない。その思いを無理に押し込めてしまうことになるから、ここから色々爆発して Bad Boy になってしまうのも、ある意味陳腐だが陳腐になる程当たり前の心の動きだろう。

そしてそれは、突然のバレエ団の脱退へと繋がる。

あまりにもピーキーなセルゲイを引き受けるバレエ団はこの世になく、ドサ回りちっくにロシアに流れていく。回帰か新天地か。

そこでイゴーリと言うある意味父の代わりを見つけ、家族を回復していくことになる。

最終的には冒頭のシーンに戻って、今まで自分の公演に呼び寄せたことのないセルゲイが、父母祖母を招いて、血の繋がった家族の回復を見せて、終わる。

幼少期から今までのセルゲイ。影の主役は、家族。

 

母の視点だと孟母三遷的なものだから、私はできうる限りのことをした、と言う話になる。セルゲイは母に対して自分をコントロールしようとしたとわだかまりが未だにある感じだった。それは、ティーンの時代に済ませておくべき反抗期を今迎えたのかと言う感じがした。

父の視点だと、息子のために海外に出稼ぎに出て、会えず、離婚もし、と言う感じ。なんとなく、スティーブン・ダルドリー『リトルダンサー』2000/英を思い起こした。

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息子の芸術性がどこまで素晴らしいかわかっているのかはわからないが、息子なんだからできうる限りのことをしてあげようと思って行動に移すところが。最後までちょっと引いた感じで、下手な自己弁護や「こんなに犠牲を払ってやった」みたいなところもないいい親父さんっぽかった(ロシア語が聞き取れたら、もっと別の感想があったかもしれないけど)

Take me to church、と言う名作

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長くなるので別項で、この曲については記事を書く。
ちなみに再生回数は2千万を超えていました。 

オリジナルでは、カソリック教会が人の性的嗜好のことにあれこれ言うことに対する批判、と言うことで捉えられることが多いこの曲ですが、セルゲイの文脈だとまた別の話だと思っています。

恋人がバレエ、敵が母やバレエ団やマスコミなど、自分の心に土足で入ってコントロールしようとしているもの。

と言う対立構造。

バレエをしている、特にジャンプをしている瞬間だけ本来の自分に戻れるという比喩として、セルゲイはこの曲にシンパシーを感じているのではないか、と思っています。

しかし、子供達が彼の踊りを見て、真似をするなど彼の身体能力を純粋に楽しむと言うのは、素晴らしい話ですね。

 

公式サイト

BBC - Dancer - BBC Films

蛇足

僕は話の構造を理解したいタイプなんで、たまにそれが行きすぎて人が楽しんでいるところが理解できない(あるいは自分のポイントが理解されない)と言うことが結構あるのです。それじゃダメじゃん、と言うのは、以下の中川いさみの連載で、大友克洋がダメ出しするところを見ると、よくわかります。ちょっと話がずれるけれど、貼っておきます。

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