下総一宮。ご祭神は経津主大神(フツヌシノオオミカミ)。
鹿島神宮の武甕槌大神と一緒に、出雲の国譲りに終わる葦原中国平定を成し遂げた武神。
全体的に
鹿島神宮とは異なり、参道はまっすぐではない。右投手のスライダーのように途中から向かって左側に向かって曲がっていく。
一の鳥居から見て、奥宮は奥にはなく手前にあるというのも、ちょっと面白い。
木は、杉も多いが竹も多く、それがまた独特の感じがしてよい。ちなみにネコも多い。
香取神宮公式の境内案内はこちら。地図がわかりやすい。
参道商店街入口
左手前の団子屋さん、おいしいらしいが、今回は時間がなくてスルーした。
こちらは、新参道。旧参道は、別にある。かなり細い道。
朱塗りの大鳥居(二の鳥居)
緑と朱色は合います。映えます。これは二の鳥居。一の鳥居ではありません。
一の鳥居は、利根川の香取駅近くの津宮鳥居河岸にあります。そう、川に向かって立っています。経津主大神はここから、今の香取神宮があるところにいらしたとか。
そちらには行けなかったのが残念。
式年大祭御船祭は、12年に一度(毎午年:前回は平成26年/ 2014年)、香取からは、この一の鳥居から利根川を船で遡って行く。(鹿島も一の鳥居から出発)
↑ 地図などあって、わかりやすいです。
また以下の鹿島神宮の公式ページのYahoo地図を使ってみると、香取神宮、息栖神社、鹿島神宮の位置関係がわかりやすいです。
ここをまっすぐ行くのが正しい参道の通り方なのですが、私は左に。先に、奥宮へ。
奥宮
結構急な坂道を登る。左手に、
登り切るくらいのところ、右手に飯篠長威斎の墓が見えたら、左手後ろに振り返ると奥宮の入り口。
ご祭神は、経津主大神の荒御魂。
粗相のないように、拍手は音が鳴らないように二礼二拍手一礼。
気がつかなかったが、鰹木が4本。(本殿は9本)ん、男女違う? 千木の様子はわからないです。和魂と荒魂で鰹木の数が違うとか??
要石
お墓に戻ったら、そのまま出ると、一般道っぽいところに出る。実はこれが、旧参道。片道二車線ギリギリくらいの、そんなに広くはない道。
そこを道なりに歩く。右手に酒屋はあるがスルーするもうちょっと歩くと、右手に、
要石の由来と、本体。ナマズを石棒で刺したとあるので、石突きが出ているようなものですね。
ちなみにこの辺りはスズメバチが出るそうなので、黒い服は止めておいた方が良いかも。
要石から山を降りて、元の参道に合流。参道のカーブ具合いいんですよ。
左がそのカーブ具合。ゆったり右に向いて行く。右は灯篭のアップ。鹿さん!
総門
工事中。真ん中が入るところ、左側が出るところと決まっている。
なお、右隣の神徳館の表門も保存修理中。
楼門
ほとんど鹿島と同じ形。揮毫は東郷平八郎。
真ん中から見えているのが拝殿。
表側の仁王様の位置には鹿島と同じく平安武官。裏側は違う。
木彫りの阿吽の狛犬でした。白木の木が背景色の朱とあっていて良い。
拝殿
鹿島と、やはりよく似た作りと配色。
帰り際には、中でご祈祷をいただいていたかたもいらした。全部見えます。
現在の本殿は、元禄13年(1700)に徳川幕府によって造営。元禄時代ということは五代将軍綱吉の時代。
正面柱間が三間で前庇と短い後庇を加えた両流造(りょうながれづくり)の全国でも最大級のもので、黒漆塗、檜皮葺(ひわだぶき)。鹿島と違って権現造ではないのか。権現風ではあるのだけど。
詳しくは、千葉県教育委員会のページをご参照あれ。
鹿島と違って、本殿拝殿は一周できます。
まず手前右手に御神木。
拝殿の後ろには、本殿があります。本殿真横。鳩よけは付いていないですね。
千木が鉛直方向に切れているのがわかります。灯篭はナイス苔。
本殿と拝殿の位置関係。手前の千木がある方が本殿。
本殿の真後ろ。鰹木が9つ。奇数なので男神とわかります。
三本杉
平安後期の人、源頼義(河内源氏二代目棟梁)が、願いが叶ったらこの一本の杉が三つに分かれると祈願したら別れた、といういわれがある。息子は義家、別名、八幡太郎。鎮西八郎為朝はこの100年くらい後の人だから、八郎違い。
最後、香取を後にするとき、二の鳥居からの空。心が晴れましたことよ。
いい旅でございました。