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見たものと、読んだもの

SSSS.GRIDMANの綿密なドラマ構成に感動する

アニメで戦隊モノをやっているんだと気づいてから、引き込まれてみていって、最終的にそういうことに落とし込むという綿密なドラマ構成に感動した。

これ、ネタバレしないと書きたいことが書けない.。

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戦隊モノは今までほとんど見ていないので、その文法を外して誤読しているかもしれないのは、ご承知おきいただく。

小さな嘘の積み重ね、大きな嘘への没入

最初は、セカイ系かなと思っていた。エヴァっぽい。主人公がなぜか世界を(GRIDMANの場合はその街を)救うことになるという点で。

ただ、最初から喉に小骨が引っかかったようなものが見せられる。新城アカネの部屋の、なんとも言えぬ生活感の表現。ほとんどお店のようなフィギュアのショーケース群と、足の踏み場もないほどのゴミ袋。そしてパソコン。

キャラクターの瞳の表現への違和感。こんな人いるっけ? まあ、アニメだしね。昔のベタ塗り的なってことはないよね。

なんかアカネってそこまで人に好かれる設定なのってよくわからないなあ、ちょいと不思議。でも、アニメだからありえるよね。

そんな、小さな違和感の連続と、そしてそれを瞬時に打ち消す視聴者としての私。

「この街から外へは出られない」「そこにある怪獣は普通の人には見れない」「死んだはずの人は、ずいぶん前に死んだことになっている」「空の上の都市」とか、とか、とか。

仮想世界だなということを示唆しておきながら、それを視聴者が自らその可能性を消すことで、作品世界の中に没入させていくという、アニメだからこその手法。実写でこれをやると相当お金がかかりそうだ。

意志、ウィルスとワクチン

アカネが「だって神様だもん」と、中盤でバラしてからが本番。

自分たちがいる世界が、アカネが作った仮想世界だということがわかる。アカネの友達は、アカネに好意を持つように「作られて」いる。アカネの世界はアカネの想像力を越えることがないので、街は狭く、その外に出ることはできない。

現実でうまくいかなくて、パソコンの中というかネットの中というかに「逃避」して、自分だけの王国を作っていたアカネが、戻るためにはバトルになるし、最後は実写に戻らなければならない。

篭りたくて篭った訳ではないのだろう。語られないが、他者を拒絶するほどのメンタルの傷をおったのだと思った。アカネが自分ためだけの世界から現実に戻るためには、意志さえあればよい。自分のためだけの甘い世界に浸りきってしまえば、戻るのは容易なことではなくなってしまう。

そのためには、他者の力が必要だ。他者は災いも福音も持ってくる。災いをゼロにしようと思えば、他者との絆を切るのが正しい。ただし、福音も来なくなる。福音を得ようと思えば、災いも飲み込んで、他者との共存をするしかない。

普段はこんなことを掘り下げて考えるものではない。水道の蛇口をひねれば水が出る。それくらい、他者と共存することは当たり前だ。しかし、それを揺るがす災害がおきて、心の水道管が壊れたら、一時的に自分の心の中に閉じこもるのも、緊急避難としての当然だろう。問題は、いつ復活するかということだ。

アレクシスは、元の世界に戻らせず、緊急措置世界から人を戻さないという「ウイルス」だ。そしてそれは、アカネの「他者と関わりたくない」という意志を燃料に力を持つ。

それを振り切って他者との共存する現実世界に戻す「ワクチン」は、他者が福音をもたらすという証拠をもたらす、近しい他者の存在だ。それは、傷ついたものには厳しい現実の他人ではなく、近しい友人、家族という、全面的に支持してくれる、必要によってはきちんと叱ってくれる他者だ。それがグリッドマン同盟の面々だ。そしてアカネを自分の意思で、それを飲み、三次元の世界に戻っていく。

ここは私が作った世界だからこの世界に私はいちゃいけないんだ自分の意思で帰らなきゃいけないんだ私の場所に(アカネ)

ま、まさかアカネくんの心を治したというのか(アレクシス)

それだけではない。人間が持つ可能性の力を私は、私たちは信じる(グリッドマン

そんな力などぉ(アレクシス)

これが命あるものの力だ(グリッドマン

これが限りある命の力、か(アレクシス)

「だから神様、最後にお願い聞いてくれませんか? 私はアカネと一緒にいたい。どうかこの願いがずっと叶いませんように」と現実世界に戻るために背中を押す六花にプレゼントされた定期入れのシーンから実写になるのは、これ以外のエピローグはないほど、とても理にかなっている。

緻密に緻密に積み上げた誠実さに、脱帽。

 

似ている作品?

見終わった感想だと、エヴァはあんまり似ていない。

現実、仮想現実、ウィルス、ワクチン、となると、『マトリックス』な感じもする。これを日本風にダウンサイズして今様にアップデートしたと考えると一番近いかもしれない。

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スミスもエージェントだし、グリッドマンもハイパーエージェントだしね。

マトリックスの、生きているのとは別の外の世界のAdminの上のアーキテクトと対決みたいな大風呂敷でないところがとてもよい。

語られぬことと、その強さ

GRIDMANなどの外の人たちは、帰っていく。仮想世界の中に、六花たちは残る。それはゲーム世界なのかもしれない。アカネ以外の誰かがログインして、遊びで一瞬いるのか、何かあって「神様」になることがあるのかもしれない。その時は、どうやって関係性を築いて過ごしていくのだろう? もしかしたら、裕太の「記憶喪失」のように、全キャラクターが何らかでゼロリセットするのかもしれない。

私だったら、自分がRPGなどのNPCだとわかったら、投げやりになると思うのだ。アカネのことが好きになるようにできていると思ったら、自分に絶望すると思うのだ。

 

ゲームに吸い込まれ、NPCの人が出てくる、『ジュマンジ / ウェルカム・トゥ・ジャングル』

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だが、今まで生きてきている自分を否定しない。自分が今持っている感情を、愛情を、友情を、否定しない。自分の存在を疑わない。

そこが揺れないというのが、すごいことだなあと思う。