cafe de nimben

見たものと、読んだもの

オススメ> Kindle本(特にマンガ)を、Kindleマンガ本棚から、ブラウザで読む

KindleリーダーのMac版が鈍い。

Macごと買い替えてやろうかという意味がわからないことを妄想するくらいに、腹が立っている。ページをめくりたいときにめくれない、めくるのにタイムラグがあるのってなんだそれは、UXとして最悪でしょう。そこはリッチな機能ではなく、スピードが欲しいのよ!

とはいえ、世界的なシリコンチップ不足により納期だったり金額だったりがアレな感じなので、ちょっと待っておきたい気もするという理性がちょっと掠めている。

 

ここではたと気づくのだ。

コミックpixivやジャンプ+などで、その鈍さを感じたことがないことに。ってことは、ブラウザ版、イケるんじゃね?

 

導線は、

  1. ブラウザでamazon
  2. kindleストア
  3. 本を買うところに行く
  4. 買ってあるKindle本だとブラウザ画面の上段に「お客様は、YYYY/MM/DDにこの商品を注文しました」と出ている ことを確認
  5. 右側にある「今すぐ読む」ボタンをクリック
  6. Kindleマンガがブラウザで立ち上がる
  7. ブラウザで本が読める(途中まで開けていたら、そこから開かれる)

確かに、Kindleリーダーよりも、こちらの方が速い。クリックからのタイムラグ皆無。

これで iMac 27インチ全画面表示すれば、紙の本よりも段違いの画面の広さを味わいながら読めるのである。

 

わりと至福。

杉谷庄吾【人間プラモ】『映画大好きポンポさん』

素晴らしい。一人の天才映画監督が生まれるところと、それを見出し育てたプロデューサー。という話なんだけど『ハスラー』とか『スティング』のようなお話ではない。

 

映画を主題にしたコミックって、それなりにあって、それなりにあるだけに、みんなちょっとひねりが効いている。そりゃそうだ、ストレートに描いたら凡庸なものにしかならないし、凡庸なものを読むくらいなら、映画好きは映画を見る。

本を開くと、4頭身くらいの女の子が「ポンポさんが来ったぞーっ!」である。ポンポさんである。往年の大プロデューサーである祖父の跡を継いで、B級映画をバンバン当ててがっぽり稼ぐ名プロデューサーである。

というリアリティラインの引き方をされると、おお、気軽にペラペラめくりながら楽しく読むタイプね、リラックスして読み流す感じかな、と思うわけじゃんか!

このリアリティラインでしかできないことと、このリアリティラインでこれをやっちゃうのか、というところの混ぜ方が絶妙。

天才新人監督誕生、という物語を綴るときに、その映画の中身を細やかに描きたくなるところをうまくぐっと抑え、読者の想像に任せるところとか、手練のシネフィルが作者だなって感じ。長くやろうと思ったら、これは役者の話だけど、『アクター』や『アクタージュ』のように、一緒に映画作品を見ているようなところまで描いちゃうんだろうけど、短く収めているってところも、映画っぽくて好き。映像といってもテレビドラマではなく、映画だものね。

映画を撮るというところが、アマチュアのそれでなくプロ監督としてのものであることを示す話とか、それでも溢れる自分だけの作家性とか、行きたい未来があるならそこに行くためのメンタルブロックを外して進む話とか。いいぞ。

全巻買ってもたった3巻だ。

映画が好きなら読みたまえ。(何故か上から目線

佐々木 常夫『そうか、君は課長になったのか』WAVE出版

名著と言われるものを読んでみるシリーズ。

主に部下になる人と、どう言う付き合いをして、何を目標にしてやっていくべきか、という志の部分を問い直してくる、手紙集。 

著者の背景

いわゆる昭和な仕事をしてきた年代の人と、この著者では随分違うことがある。それは今でいう「ワークライフバランス」を取りつつ、仕事をしてきた実績だ。

著者が初めてか朝食についたのが、1984年。まだ昭和の高度成長期の匂いを残し、まだバブル期に入っていない時代。長時間労働こそが「頑張っている」とされていた時代に、著者は、妻の看病と子供の世話のために、激務にも関わらず毎日午後6時に退社をすることを余儀なくされていた。それでも結果を出して、最終的に東レ経営研究所の社長を務めると言う実績を残している。

あまり描かれていないが、きっと、「なんであいつばっかり早く帰って」などというやっかみや誹謗中傷などもあったはず。それは、接待でゴルフに行かないと出世できないなどなどのその頃としては、当たり前の努力をしていないのだから、当時としては当然の冷たい視線だっただろう。

にもかかわらず成果を出して、出世させるべきと上長に思わせてきた、と言うところには、やはり大きな今でも通じるものがあるはず、と思って読んだ方がいい。少なくとも時代が違うよ、と捨てるよりは。

10年前の本なので、読み方を

いい大学を出て、 一部上場企業で働いて出世していくという神話時代を過ごしたことが経験値として語られる部分もある。この本は2010年に出ている。つまりリーマンショック(2008年)の後。2021年現在の、どんどん転職が当たり前になりつつあるところとは、社会の状況が違う、と言うのは折り込まないといけない。

今は、「出世は男子の本懐」と言うような感覚が、だいぶなくなってきているようにもみえる。多分そう言って昔大企業に入っていた学生は、起業に流れているのかな、と言う気がします。

しかし、根本のところは、変わっていないのだと思える。

課という単位の人間をまとめること。その時の気をつけるべきこと。目標の立て方。これは、スタートアップの小集団でも、大企業の中のチームであっても、社内外をまとめるクロスファンクショナルグループでも、それはあまり変わらない。

 

内容について、少し。なかなか実践的

これも往年のベストセラー『ビジネスマンの父より息子への30通の手紙』の形式をとったものなので、この本の紹介としては目次がいいかもしれない。

第一章 まずはじめに、「志」をもちなさい

第二章 課長になって2か月でやるべきこと

第三章 部下を動かす

第四章 社内政治に勝つ

第五章 自分を成長させる

 

まず、基盤となる「志」を持て、着任後動くチームにするために最初にすべきこと、部下マネジメント、ボスマネジメント、自分マネジメント。

課長は初めてプレイヤー以外の視点で行う業務なので、プレイヤーでない動き方とは何か、その情と理を説く。とはいえ初心者なのでまごつくから、最初の二か月の過ごし方を教えた上で、慣れたら大きな視点で部下、上司、自分をどう動かすかを説くという順番だ。

かなり実践的だと思う。マネジメントする立場になって長い人は、原理原則を振り返るため、新米マネジャーは困った時に立ち返るため、マネジャーになろうとする人はこういう視点の変化があるんだなという準備のために、読むのをおすすめしたい。

 

 

チームの動かし方の書き方が、かなり実践的

具体的な記述で面白い、ためになることは多いのだが、私が注目したのはここ。

チームでの動かし方で、「何のために」「いつまでに」「どの程度まで」「誰と誰がするか」を決めた上で、進捗状況を確かめ、必要に応じて柔軟に変更し、遂行する、と言うようなことが書かれている。

当たり前なんだけど、できているところは、割と希少かつ貴重。

実はこのためにこそ、議事録が大事だと思っている。会議が無駄だと言う人は、そういう議事録が取られていなくて、そのために遂行するべきものが何かぐずぐずになっちゃっている場合が多い。

だから、「見える化」は大事だけど「言葉化」も大事だと思うのよね。過去のことはFactがあるから「見える化」できる。未来の事実は予想できる。でも未来に対する意思表示は、言葉でしかできない。これは人が言葉でものを考えている限り、不可避なことだと思う。だから、言葉力は磨こうぜ、という気になった。

 

Kindleの使い分け

Kindleは、Paperwhiteなどのハードウェアデバイス、PCアプリ版とモバイルアプリ版がある。

私の使い分けは、何を読むか。

  • 文字を読むときは、Paperwhite。
  • 漫画や雑誌などグラフィカルなものを読むときはアプリ版。

Paperwhite

ちなみに持っているのは、Kindle Paperwhite 第三世代 Wi-Fiモデル(2015)。もう6年前の機種なので、買い替えも要検討ですね。

ディスプレイ:Carta 6インチディスプレイ、解像度300ppi、内蔵型ライト、16階調グレースケール。内蔵メモリ4GB。防水非対応。

ちなみに現行のPaperwhiteはPaperwhite第四世代。2018発売開始。

ディスプレイ:Carta電子ペーパー技術採用6インチAmazon Paperwhiteディスプレイ、解像度300ppi、内蔵型ライト、フォント最適化技術、16階調グレースケール。内蔵メモリ8ないし16GB。防水IPX68相当。

大体3年だとすると、今年出るのかもね。防水のためだけに買うならちょっと違うので、もうちょっと待ってもいいかな。あとはセール狙いくらいか。

Paperwhiteのいいところは、e-Inkが目に優しいところ。

PCやiPadでは光の圧が強すぎて、目が痛くなる。仕事でPCは死ぬほど見るので、目は休めたいところ。私のは古い機種なので、買い替えも検討したい。防水がいい。今はジップロックでやっているが、メモそのたがめんどくさいので。

ページめくりは、直感より遅いが、妥協の範囲。

Paperwhiteの悪いところは、表現力がリッチでないところ

カラーでない。解像度が低く、図表を見るのがほぼ無理。画面も小さい。デバイスの処理能力が低いので、大きなデータのものはページめくりが遅い。

このため、コミックや雑誌は読むのは、諸説あろうが私にはほぼ不可能。

また、画面の広さ及び動作のキビキビ感から言っても、購入本の本棚整理と言うのはpaperwhiteでは不可能。このため、その時の読むものだけをダウンロードしておくという使い方になる。まあ、積読も多いので、それなりの数の本が常時あることになるが。

また、広告あり版は読んでいない時に本のパーソナライズ広告が出るようになって、結構うざい。このため、次に買うときは多少本体が高くても広告なし版にする。

ダウンロードはWi-Fiからしかするつもりがないので4Gなくても良い。これは完全に私の事情。

アプリ版

アプリ版のいいところは、表現力

カラー。解像度はPaperwhiteより高いので、図表があっても読みやすい。画面は特にPCだと段違いに大きく使える。iPadなら標準で9.7インチ。Kindle paperwhiteの6インチとは随分大きさが違う。

PCアプリ版とモバイルアプリ版(iPad版)の使い分けは、画面の広さ。特に見開きページに意味のあるものは、PCアプリ版の全画面表示に叶うものはない。とはいえ、読む場所を選ぶので、iPadを持ってどこでも読めるのも良い感じ。

これは、表現力と目の疲れのトレードオフ

Kindle本を買うルート

kindleの本を買うルートは、実は二つ。購入は、webブラウザからamazonのページ、Kindle unlimitedはアプリから選択。kindle unlimitedは、今月契約が切れてunlimitedではなくなるよというお知らせがあるので、そこから選択しておく場合が多い。それで読まないものがあれば、解除。ここで一ヶ月読まないと言うものは一生読まないからリリースしても惜しくはない。

しかし、apple税30%のせいで、いちいちPCからの購入を強いられると言うのは、UX的にはちょっといただけないですね。Appleとコンテンツホルダがもうちょっと歩み寄れるといいんですが。

 

 

nimben.hatenablog.com

 

 

nimben.hatenablog.com

 

 

nimben.hatenablog.com

 

 

nimben.hatenablog.com

 

 

nimben.hatenablog.com

 

 

nimben.hatenablog.com

 

玄奘三蔵のインド紀行ルート

 

『天竺熱風録』を読んでいて、この頃の世界図って頭に入っていないなと思ったので調べてみた。7世紀中盤の中央アジアから東アジアの図版です。

中国/唐

唐は、西暦618年から907年の間、中国を治めていた王朝である。遣唐使の「唐」ですね。都は長安(現在の西安)。隋を滅ぼし(正確には禅譲を受けて)唐を建国したのが李淵(廟号は高祖。在位618年から626年)。二代目が太宗皇帝(在位626年から649年)。

版図は、北が万里の長城、東は海、南はベトナム、西は四川省くらい?

やはり万里の長城がないと、北方民族との領土紛争が大変だったのだなと言うのがわかります。そりゃ、北京だと北すぎて首都にはできないですわ。

『天竺熱風録』の時代は、太宗の治世で元号貞観。「貞観の治」として善政の見本とされ、書物に『貞観政要』としてまとめられる。「創業と守成、いずれが難きか」は有名。前半は国力の回復に努め、その後、北の突厥、西のインド方面に進出していった。

ちなみに、その後は;

690年 - 705年は、則天武后に国を乗っ取られ、周となる。

712年に、第六代玄宗即位。前半は「開元の治」と呼ばれ、唐が最盛期を迎える。

745年に、楊貴妃が貴妃になってからは、治世が緩む。

755年に、安史の乱。短期的には玄宗退位、長期的には唐の衰退が始まる。

803年に、空海が唐を訪れたときの皇帝は十二代である徳宗(805年退位)。

894年に、菅原道真により、遣唐使中止。 

907年に、滅亡し、五代十国時代へ。

中央アジア/突厥⇨唐の実効支配

6世紀にあった唐の北と西にある遊牧民族の国。最大版図は、東が渤海(東ロシア付近)、西がアラル海中央アジアの、カザフスタンウズベキスタンタジキスタン)、南はゴビ砂漠崑崙山脈万里の長城新疆ウイグル自治区)、北はバイカル湖(モンゴル)という巨大帝国。

581年に中国が300年ぶりの統一国家(隋)になっても南下して小競り合いを続ける。

582年に東西に分裂。

突厥は、

630年に、天変地異や内紛により弱まり、唐に降伏。羈縻政策による、まあ、属国扱いになる。

650年には北方民族はすべて唐の支配下になった。(745年に滅亡)

西突厥は、

620年代くらいが最盛期で、西はササン朝ペルシア、南は現カシミール地方である罽賓(けいひん)まで勢力を伸ばした。しかし、二人の可汗が並立するなど、徐々に内紛が起こる。対外戦争をしている場合ではないので、唐に朝貢する。なんとか独立を保っていたが、657年には東突厥と同じく唐の羈縻政策下に入る。(741年に滅亡)

北インド / ヴァルダナ朝

6世紀中頃にグプタ朝が滅亡して、大分裂時代に突入していた北インド。武人であるハルシャ・ヴァルダナは606年に即位し、ヴァルダナ朝を建国。北インドの大部分を統一。残念ながら一代限り。 

ここでいう北インドは、北はヒマラヤ (Himalayas) 山脈、南はヴィンディア (Vindhyas) 山脈で挟まれた地方。といってもハルシャが治める東西は海まで(東はバングラディシュ、西はパキスタンあたりまで)という、大帝国だ。

首都はガンジス川沿岸にあるカーニャクブジャ(=腰が曲がった女)/カナウジ(曲女城/Kannauj)。曲女城は、玄奘三蔵による意訳。12世紀にイスラム勢が破壊するまでは、ずっと栄えていた。

言語はサンスクリット語。中国からの呼び名は梵語。なので玄奘三蔵がインドから持ち帰った経典は梵字

ヴァルダナ朝が滅んでから13世紀初めまでは、ラージプート時代という群雄割拠の時代となる。8世紀には、北西インドに強くカナウジを首都とするプラティーハーラ朝と、東のベンガル地方に勢力を持つパーラ朝と、中央インドデカン高原に勢力を持つラシュトラクータ朝が、カナウジを巡って争っていた。カナウジが、いかに重要な都市だったかわかる。

 

Indiahills.png
Nichalp - 投稿者自身による作品CC 表示-継承 3.0, リンクによる

チベット吐蕃

618年建国。7世紀初めにチベット高原統一を成したソンツェン・ガンポ王(630年即位。650年死去)の時代。首都はラサ。

版図は、大体、チベット自治区青海省。もしかしたら四川省雲南省の一部?

King Songsten Gampo's statue in his meditation cave at Yerpa.jpg
オリジナルのアップロード者は英語版ウィキペディアJohn Hillさん - en.wikipediaからコモンズに移動されました。, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 

唐とは礼物を送りあったり、領土の帰属権を争って戦争したりと、対等な小競り合いを続ける関係。

『天竺熱風録』よりも1世紀ほど後の763年には半年ほど長安を占領するなど、私が思っていたよりもかなりの強国。

842年滅亡。

ネパール/リッチャヴィ朝

4世紀から9世紀にあったネパールの古代王朝。版図は大体今のネパールと同じ。

ナレーンドラ・デーヴァの治世(在位643-679年)。チベットに追放された後、ソンツェン・ガンポ王の援軍を得てネパールに戻り、王位についた。となると、当然、親吐蕃。逆に北インドに対しては脅威となる。チベット吐蕃のソンツェン・ガンポ王が亡くなってからは独立が保たれていたが、基本的にはチベットの属国扱いを、少なくとも唐からはされていた。ナレーンドラの死後は求心力を保てず、チベットの属国化が進む。

唐とインドの交流

玄奘三蔵(『西遊記』の三蔵法師)がヴァルダナ朝を訪れたのが貞観3年から19年(西暦629-645年)。彼はインド周辺の見聞録として、646年に全12巻の『大唐西域記』を著す。

また、ハルシャ王が641年に太宗皇帝に使節を派遣。返礼としてこの物語の主人公である王玄策が派遣される。

玄奘三蔵(『西遊記』の三蔵法師)がヴァルダナ朝を訪れたのが貞観3年から19年(西暦629-645年)で、この物語でも玄奘三蔵の弟子が重要人物として出てくる。

 

玄奘三蔵とその経典、それから空海

シルクロード

シルクロード自体は紀元前からある。地理的な言い方をすると、中国からゴビ砂漠タクラマカン砂漠をへて、パミール高原を抜けて、中央アジアに至る。

中央アジアから中国への道は大きく分けて3本。

西域南道

最初にできたとされる西域南道は、ゴビ砂漠敦煌からタクラマカン砂漠の南の縁、崑崙山脈の北の縁を、オアシス伝いにいく。いまだに場所が分かっていない桜蘭を経由する。

天山南路

次にできたとされる天山南路(西域北道)は、タクラマカン砂漠の北のふち、天山山脈の南の縁をいく。

西域南道も天山南路も、灼熱のタクラマカン砂漠を越えた後に、平均標高5,000のパミール高原を越えるという、歩くのも困難なら補給も困難なルートを通って、中央アジアウズベキスタンの古都サマルカンドに到達し、そこからヨーロッパへ西進する。インドへは、おそらく現在のタジキスタン/パミール高原の手前で、クシュクルガンから現在のカラコルム・ハイウェーで現イスラマバード(当時はサイドプル?)まで南下。そこからカシミールパンジャブ地方を越えて、首都カナウジ(曲女城)

天山北路

最後に開発されたのが、天山北路。敦煌からトルファンに行くまでは天山南路と同じだが、そこからウルムチをへて天山山脈の北に出て、当時の西突厥の首都スイアブ(現在はキルギスの都市トクマクの郊外)、現在のウズベキスタンの首都タシケントをへてサマルカンドに向かう。インドへは、そこからテルメス、現パキスタンの交通の要所カイバル峠を経て、現イスラマバード。迂回するので距離は長いが、タクラマカン砂漠パミール高原も通らない、一番楽な道。

この物語時点の行政区分的には、中国からヨーロッパは、唐>東突厥(ハミや敦煌)>西突厥(東はトルファン西はサマルカンドくらい)>ササン朝ペルシア(650年滅亡)>東ローマ帝国、みたいな感じかしらん。遊牧民族の国の境は厳密にはわからんけれど。

玄奘三蔵のルート

どうやら玄奘三蔵は、行きは天山南路と見せかけて、ベテル峠を越えて天山北路に入り、北インドの西端から今度は北インドの東端に近いナーランダ大学で勉強するというルート。(Wikipediaにはヒンドゥークシュ山脈を越えたとある。サマルカンドから東南に動いて現アフガニスタンの首都カブール(ここはヒンドゥーシュク山脈の盆地)から、カイバル峠を越えてインドだと考える)

帰りは、なぜか最も過酷な西安南道を通る。桜蘭が見たかったのかもしれない。

よくもまあ無事に帰って来れたことよ。

玄奘三蔵訳の経典が、空海につながる

629年;玄奘三蔵、隋を密出国してインド入り。

インド仏教の最高峰の大学ナーランダ大学にて学長のシーラバドラ/戒賢から唯識を学ぶ。

645年:玄奘三蔵、最短だが最も過酷なシルクロード西域南道コースで、唐に戻る。持ち帰ったのはサンスクリットで書かれた経典657巻。国政に入らぬ代わりにインドの情勢を記述したのは『大唐西域記』。

ここから生涯をこの経典の漢訳にあてる。『般若心経』『大般若経』を訳す。『大般若経』の漢訳完了後100日ほどして亡くなる。経典の漢訳としてはこれを新訳とするというほど画期的な翻訳だった。サンスクリット語を学んだものが、音訳ではなく意味で訳しているので。

804年:空海が唐に行く(第18次遣唐使)。梵語に磨きをかける

805年:長安にて密教を学ぶ。

となると、玄奘三蔵の新訳と、原典のサンスクリット経典の両方で密教を学んだ、ということですね。

nimben.hatenablog.com

 

参考資料

20年かけて、西安からローマまでのシルクロードを、主に自転車を使って旅した記録。多数の写真あり。

www.yunnan-k.jp

 

なるべく玄奘三蔵が通ったルートで往復する旅の記録。写真と動画あり。

www.asahi.com

 

地図参照:

sekainorekisi.com