こちらで出てくる
3巻の扉絵は、源経基。その子が満仲、孫が頼光。
そして、鬼として描かれている、酒呑童子、紅葉と茨木。
この鬼たちは頼光時代の伝説で、将門の物語とは別。このため、本編ではおそらく頼光はもうでてこないとおもわれる。
これは面白いので、読んでみたい話なんだけどねぇ。伊藤勢、描いてくれないかなあ。描いてもらえるとすれば、続編とか外伝として、かな。
丑御前のお話は、うまく見つけられなかった。
平安中期で、『瀧夜叉姫』の話から、約20年後の世界。
酒呑童子
月岡芳年 - 国立国会図書館デジタルコレクション: 永続的識別子 1310286, パブリック・ドメイン, リンクによる
源頼光が四天王(坂田金時、渡辺綱など)などと退治するのが、酒呑童子と茨木(童子)
Yoshitsuya Ichieisai - here, パブリック・ドメイン, リンクによる
(これは画像のみで、文章による説明はない)
上記3つは、江戸時代のエンターテイメントだが、もっと昔からこのモチーフでの絵画は存在する。
いつの話?
御伽噺だから確たる年代があるわけではないが、990年説あり。10世紀終わりくらいと考えるのが妥当なところでしょう。
大江山って、どこ?
京都府の北側、福知山市にある山で、丹後天橋立大江山国定公園の中にある。
近くに、元伊勢三社と言われる、旧神宮内宮などがある。
という博物館もあり、大江山の鬼退治話などについても展示がある模様。
どんな伝承?> 青空文庫での、大江山のお話
物語としてまとまっているのは、
読むと、八岐大蛇vs素戔嗚尊の神話をかなり踏襲しているのがわかる。
キャラクター紹介
童子退治に向かうのは以下の6名。
- 源頼光(みなもとのよりみつ)
- 渡辺綱(わたなべのつな)頼光四天王筆頭
- 卜部季武(うらべのすえたけ)頼光四天王
- 碓井貞光(うすいのさだみつ)頼光四天王
- 坂田公時(金時)(さかたのきんとき)頼光四天王
- 藤原(平井)保昌(ふじわらのやすまさ)頼光友人
源頼光 (948-1021)官位:従四位下
Tsukioka Yoshitoshi - Art Gallery NSW [1] パブリック・ドメイン, リンクによる
ハンサムかつ、武勇に優れ、御伽草子の人気者。
酒呑童子を切ったと言われ、そこから『童子切』の二つ名がついたのが、国宝「太刀 伯耆安綱」。
渡辺綱:平安中期(953−1025)官位:従五位下。渡辺姓の祖。
Print artist: Utagawa Kuniyoshi (歌川国芳) - https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_2008-3037-21227, パブリック・ドメイン, リンクによる
生まれは、武蔵国箕田村(現、埼玉県鴻巣市あたり)。母方の里である摂津国西成郡渡辺に移住し、渡辺姓を名乗る。
上記浮世絵にあるように、「髭切りの太刀」で切り落とした逸話でも有名
一条戻橋ではなく羅生門で起きたという話になっているのが、こちら。
こちらで『酒呑童子絵巻粉本』が読める。
江戸時代後期の粉本。
卜部 季武(うらべ の すえたけ) (950−1022)官位不明
別名:坂上季猛(さかのうえのすえたけ)、『今昔物語』では、平季猛(たいらのすえたけ)。
生誕地不明。
坂上はもちろん、坂上田村麻呂の系譜。ということだが、詳細不明。
葛飾北斎画『和漢絵本魁』より「卜部季武 姑獲鳥(産女)を懲す」
Katsushika Hokusai ( 葛飾北斎, Japanese, †1849) - scanned from ISBN 978-4-7538-0185-5., パブリック・ドメイン, リンクによる
『今昔物語集』の「頼光の郎等平季武、産女にあひし話」より。
碓井貞光 (954?−1021?) 官位不明。
歌川国芳 作『酒田公時・碓井貞光・源次網と妖怪』のうち、碓井貞光の部分。
https://www.britishmuseum.org/collection/object/A_2008-3037-20903, パブリック・ドメイン, リンクによる
ろくろ首などの妖怪変化がいるのにも構わず、碁を打つ貞光。
坂田公時(金時)=足柄山の金太郎 (伝説として、956-1012)
マサカリ担いだ金太郎、の金太郎。足柄出身。山姥の子という伝説。
実在の人物かどうかは不明。一定の人物に相当の脚色を加えている架空の人物と捉えた方がいいのかもしれない。
976年に足柄峠を通行中の源頼光に認められて家来になり、上京。
同じ足柄出身の碓井貞光に紹介された?
歌川国芳『坂田怪童丸』
頼光と出会った時。えー、むさくていやだw
月岡芳年 - 芳年武者无類, パブリック・ドメイン, リンクによる
www.city.minamiashigara.kanagawa.jp
立命館大学アート・リサーチセンター
藤原 保昌(ふじわら の やすまさ)(958−1038)
藤原南家巨勢麻呂流、右京大夫・藤原致忠の子。官位:正四位下。
『大江山』で言われる平井保昌という別名は、摂津守となり同国平井に住んでいたため。藤原道長・頼通父子の家司。
生誕 天徳2年(958年)
死没 長元9年(1036年)9月)
Tsukioka Yoshitoshi (Japan, 1839-1892) - Image: http://collections.lacma.org/sites/default/files/remote_images/piction/ma-31808204-O3.jpgGallery: http://collections.lacma.org/node/191379archive copy, パブリック・ドメイン, リンクによる
月夜に保昌が横笛を吹いているだけなのだが、斬りかかろうとしても隙がなかったため、刀が抜けないの図。
「平安のゴーストバスターズ」と言いたい気持ちはよくわかる。
*1:
頼光の父である満仲が打たせた二振りの刀がある。それが、「膝丸」「髭切」。
満仲から頼光へ。
渡辺綱に貸し出されたのが「髭切」。鬼を切ったので、「鬼丸」と改名。
頼光が土蜘蛛を討ったのが「膝丸」で、「蜘蛛切」とも呼ばれる。
頼光から、弟の頼信(河内源氏初代統領)へ。ここから河内源氏統領が持つ刀となる。
源為義(5代目)の代に、夜に獅子のように鳴くので「獅子ノ子」と改名。もう一振りである吠丸(膝丸)は、第19代熊野別当の行範に譲られる。「獅子ノ子」は「友切」と改名され、6代目為朝に譲られる。
7代目頼朝が「友切」を八幡大菩薩のお告げにより、「髭切」の名に戻す。
「吠丸(吼丸)」は頼朝の弟義経に伝えられ「薄緑」と改名。その後、頼朝の元へ。
近い名前の鬼切/鬼切丸だと別の方になるし、もしかしたら途中で混同されるし。正直、うまく辿れない。
鬼切丸だと、楠桂のまんがを思い起こしてしまうのだが。