1995年1月17日火曜日。阪神淡路大震災発生の日。
一ヶ月後に現地に入り、1週間ほどボランティア活動をした。
一番ショックだったのは、夜空。
電信柱はゆがみっぱなし。水道がまだきびしいので、建物の解体作業のときに埃飛散防止のための散水はナシ。
空は、もやがかかる低層と、もやのない高層の2段階に分かれ、月は埃で赤く染まっていた。
電気は開通していたが、ガスはまだ。水道は上下ともNGのところが多かったかもしれない。ありとあらゆるタイプの簡易型トイレをつかったのを覚えている。
水道が限られてたので、お風呂は自衛隊のひとが提供するなど、まだまだ個人が家風呂に入るのは厳しい感じ。底冷えするし。沿線のイエローページの銭湯のページがすべて破られていて、泣きそうになった。
一ヶ月後だったので、直後の団結感がうすれ始め、見通しの無さに関する苛立ちが出始めるころだった。
そういう意味で、体より精神的につらい感じだった。
ボランティアだから、自分で勝手に行き、勝手に帰ってきた。
あの場で、意志と関係なく巻き込まれ、精神的に逃げ場を失ったひとたちとは比べようもない。
1月17日という日付を、ぼくは忘れない。