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私の地震体験 (3/11)

結論からいうと、お陰様で、私の家族も私も無事です。
個別にはお礼をもうしませんが、気にかけてくださった皆様、本当にありがとうございました。気持ちが冷えそうなとき、暖かくなりました。

11日14時46分に三陸沖を震源として、東日本巨大地震、発生。
同時刻、会社(東京千代田区)で被災。震度五強。
会社のなかを見回り。多少、物が落ちるなどしていたが、人的被害無し。
東京メトロ、JRのWebページにて、ほぼ全線不通を確認。
目の前の靖国通りは、特に問題なく車は流れている。その後、一部道路が救助活動のために封鎖される。
電話は、網で止められていて、連絡不能。
IP網の足回り、大手Web、SNSは導通確認。非同期処理のすごさを感じる。
会社で、Facebooktwitterなどで、自分が大丈夫である旨を発信。
家族にはメールをするが、おそらく輻輳のため、送受信で遅延のため、この時点では無反応。

強めの余震(震度3〜4か?)が続く。
ガラスの前から社員を離れるように、あるいは余震のたびに壊れ物がないか確認など、指示・行動しつつ過ごす。わめいても、イラついても、こういうときは、何も好転しないので。

同16時ごろ、社長判断で、「歩いて帰れるものは帰って良し」となる。
私は事態確認のため、仕事をしながらもう少し待つことにする。
メールでの安否確認は、依然不可能。

同18時ごろ、歩いての帰宅を決意。
Google Mapだと家まで徒歩4時間弱。夜の冷えを考えると、22時までに帰宅すべきと考えたため。病み上がりで辛いところではあるが、会社で一夜をすごすのも、家族を考えると不安だった。

都内を歩いていくのだが、50人に一人くらいの割合でヘルメット着用。200人に一人くらいの割合で、簡易雨合羽着用。たぶん会社に備え付けてあるのだな。東京メトロが完全にとまっているので、道路は人で溢れていたが、特に混乱なく、粛々と歩ける。

同19時ごろ、そろそろバテ始める。
まだ想定時間の25%というのに。気がせいて、歩くのを頑張りすぎているらしいというのは、頭では理解している。でも、心は理解していないようだ。

同20分ごろ、嫁と連絡がつく。
メールは壊滅だったが、結局、twitterのDMで。人心地つく。
親兄弟とは連絡はつかない。
嫁からのメールも届く。やはり携帯で遅延していたようだ。よくあることなので、まあ、しょうがない。

同30分ごろ、体が冷えてきた。
今日は天気がよい予報(そしてそしてあたった)ので、コートを着用していない。冬用のジャケット+マフラーのみ。手首から冷えてきて、冷えが腕の付け根にむかって進行。しかし、疲れてもいるので、歩く速度を上げられない=体の冷えがじわじわ進む。

同20時ごろ、道中で一番長い橋を渡りきる。
長かった。また、風の直撃で、相当冷えた。冷えが腕の付け根にきているのを感じる。冷えと疲れで、気が短くなっているのに気がつく。逆走する自転車に、心の中で毒づくなど。心の余裕がなくなると、よくない。

同20時10分ごろ、心が最弱。
3Gデータ回線が活きていることを確認しがてら、twitterで愚痴り始める。「寒くてクラクラしてきた。頭皮もかたまってきた。明日、禿げてたらどうしよう」って、何をつぶやいているのだ、私はw

同20時15分ごろ、自分宛に@つきで、いろんなかたからReplayをいただいていることに気がつく。
心が温かくなって、ちょっと正気にもどる。寒いので、ロードサイドのファミレスかコンビニで暖をとろうとするが、開いていないか、空いていないか、行列で、失敗におわる。

同20時20分頃、拉麺屋が一席空いているのを確認、飛び込む。
テレビでは地震のニュースをやっている。名取市津波の様子などみて、普段より心が動いていないことに気がつく。自分の生命維持が大事なモードに切り替わっているらしい。醤油ラーメンに、しこたま胡椒と一味をいれて、とにかく暖をとるモード。後から入ってくるひとに、主人が「今、席がないので、外で待ってください」と言っているのに憤るが、それを言う元気もない。せめて早めに食べ終わって、席を譲ることにする。

同20時40分頃、拉麺屋を出る。
直後は、そんなに暖まっていた気はない。「これ以上は寒くならない程度には暖まったということにしよう」と思っていたのだが、10分ほど歩くと、軽く汗をかくくらいには、暖まっていることに気がつく。塩、辛み、脂は大事だ。
ここまでは、道路その他、特に被害を感じていない。

同21時頃、土地勘があるところまで帰還。
ただそれだけで、何か心強い。
しかし、液状化した痕跡を少しずつ見つける。橋と道路の接合部が1m近く段差ができていたり。家につくまでに、これがもっとひどいのでは、という悪い予感。

同15分頃、最寄りの駅到着。
駅前広場、暗くてよくわからないが、液状化現象が激しかった痕がある。泥水をふきあげたようで、一部雨でも降ったのか、というくらいの水たまりあり。
アスファルトが、液状化で浮き、めくれ、割れているというのを、散見。
道路のブロックも真っ平らだったものが、ゆがんでいる。
液状化の痕跡、ここから吹き上がったのかな、というところは、蟻地獄の巣のような状態になっている。
ペンギン歩きになるので、ここから歩行スピードがかなり落ちる。
自宅内の、テレビやPCなどが倒れている様子を予想して、暗澹たる気分になる。足の踏み場もなかったら、どうしよう?

同40分頃、自宅着。
直前に、嫁が帰っていることがわかる。
倒れたり落ちたりしているものは、ほとんどなく、しかも割れてもいない、とのこと。安心した。
ライフラインのチェック。電気とガスはOK。下水はOKだが、上水は断水。インターネット接続環境はOK。
帰宅twitterなどする。
親兄弟のところに電話するが、まだ輻輳対策で通じない。

同22時20分ごろ、親兄弟と電話で連絡がつく。
みんな無事と判明。よかったよかった。

というのが、現状です。