休む方法は二つある。
頭を下げてやりすごすか、積極的に解消に走るか。
休息は積極策のほうがたいていは正しい。
常にそれができるわけでもない。
残念ながら、体力精神力経済力と時の運が、どれもまったくないこともある。
寝転んでいるしかない。家にこもってばかりいると鬱々としがちなのはしょうがない。それに取り込まれてしまわなければ、別にそれに敗北感を抱く必要もない。
実はこれがぼくには大切な考え方で、つい最近、自分に許すことができたばかりだ。
なんでそんなに、他人から見た見栄えの楽しさにこだわって、今の自分を必要以上に貶めていたのかわからない。やすむのは他人ではなく自分だものね。
よくそれはFacebook/Twitterなどの影響であるとしたり顔していうひとはいるんだけど、ぼくに限っては学生自体からだからそんなの関係ないんである。
他人の休みの素敵な写真を見て、いいなあと思う。それはあたりまえ。
でも、だからといって、なのに自分は、と思わなくってもいいし、それが自然にできてきたので、精神的にはずいぶん楽になった。
もしこれを老化による感受性の摩耗というのなら、よろこんで老化をうけいれるよ。
個人的には、「変えることができないものを受け入れる落ち着き」と呼んでほしいところだけれど。