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『重版出来』TBSドラマ第7話/原作漫画

「concession speech」というのがある。アメリカの大統領選などでの「スピーチ」であるというと勝利宣言のようだが、その逆で、敗北宣言だ。敗北宣言をきちんと言える人間を、ぼくは信頼する。

この重版出来第7話は、そういう物語だ。

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沼田さんは、アマチュアとしてはちょっとした高みまで上った。それは大学生のときには過分な評価で、その自己評価を下げることができなくなってしまった。有名作家の作画をアシスタントのリーダーとして支えるだけの作画能力がある。しかし、ネームはずっとボツ。後輩はプロデビューしていく。忙しい日常のなかで、「夢を持った特別な人」として、自己評価を下げずに生きていく。友達も同僚も、リスペクトをもって接してくれる。それが、ゆでがえるなのだとは、うすうす感じていながらも。

デビューができないのは自分がダメで、デビューしたいならデビューできるようにさらなる努力を、できないことを受け入れるなら次の道を、きちんと選べることは、自分ごとだったら難しいよ。日常は日常としてすぎていく。20年、それでやってきたのだから。そのまま、世間が悪いといいながら老いていくのが、残念ながら普通なのではなかろうか。

きっかけがあった。それは、後輩アシスタントのほとばしる才能。本当の漫画家であれば、画風が違う相手に劣っていると考えること自体が間違いだとおもう。しかし、ゆでがえるのお湯という、あったかいお布団をひっぺがすには十分だった。

やめる理由がみつかってよかったね、と立川談志ならさらりと言ってしまうかもしれない。両親の老いが理由なら、最後は両親を恨みながら生きていかねばならない。漫画で負けたのが理由なら、何の言い訳もなく辞めるしかない。

いや、ちがうんだ。言い訳がないと踏ん切りがつかないのは人間の醜いサガではある。でも、どういう言い訳であっても、辞めることをみずから決断することが尊いのだ。努力しても夢は叶わない場合がある。夢に捕らえられて、動きべき時に動けなくなることが、負けなんだとおもう。それは、さぼって、ぶどうは酸っぱいといって辞めるのとはぜんぜん違うことだ。

沼田さんは、田舎の酒屋のせがれとして生きていく。おしめをしていた頃からしっている近所のおばさんも、いまやババアだ。夢を諦めて、まだちょっと虚ろな目をしている。でもいいじゃん。前に進むことができるようになった。

沼田さんを演じるムロツヨシは、この40歳のウーパールーパーを傲慢かつ卑屈かつ繊細にチャーミングに演じている。リアルにいたらうざい自己承認欲求の塊の初老のはずなのだが、その臭みをリアリティの範囲内で脱臭しているさまがすばらしい。

脚色の野木亜紀子には絶賛を。原作の読み込みの深さだろう、エピソードの取捨選択と並べ替えがみごと。調べたら『空飛ぶ広報室』『掟上今日子の備忘録』のひとか。どうりで。

あと、原作の松田奈緒子のセリフ力にも。「嘘をつくほどキミは子供だったか」は、この第7話一番のパンチラインだとおもう。

演出もHDな高解像度でつくりあげているし、本物の漫画家さんに劇中漫画をかいてもらったりとか、丁寧な作りで好きなドラマだ。