cafe de nimben

見たものと、読んだもの

片渕須直『この世界の片隅に』2016/原作:こうの史代

この映画を語るようなこたぁ、わしにゃぁ、ようせんのよ。

広島生まれ広島育ち、呉に親戚がいて、祖母とだいたい同じ世代のすずを、他の映画のような感じで、他人の物語としてみることができんけぇね。

 

田舎のうちで、鴨居のあたりに掲げてある白黒の写真を見て、ありゃあ誰ねぇ? いうて、みんな微妙な顔をしながら、ご先祖さんよいうてから、原爆で死んだんよいう話を、自分の目で見たり聞いたりしよったら、なんとなく触れちゃぁいけんような、なんかがあるんじゃな、いう下地はできるんよ。

原爆教育いうんは、小さいころから学校でもされる。原爆資料館も遠足でいったりするしね。今のは二代目じゃけど、前の資料館はもうちょっとえげつないくらいの展示じゃったし。わしらが遠足でいくころは、小学生でもみれる程度にしとってくれたらしいけど、ほんまの最初は気持ちがわるぅなってもどすひとがおるけぇいうて、バケツが置いてあったそうなけぇ。『はだしのゲン』も含めて、ぶちショックをうけるよね。

そういうショックを描いた映画じゃない。

ほんかわしたような絵にゃぁ違いないけど、ものすごう足で調べて、圧倒的なリアリティを封じ込めてあるいうんは、ようわかる。

呉もほんまにあんな感じ。急な斜面を段々に削った土地に、家やら墓やら畑やらができとって、人間がへばりつくように住んどる。原爆雲がみえたいう話も、聞いたことがある。

今の広島にしても、建物は近代的になったいうても、市内の川は変わらん。

ブラタモリ』のタモリじゃないけど、川と道は変わらんけぇ、あそこのあの街のあのあたりいうんが土地の記憶として続いとる。

それをタイムスリップして、小さいころから写真で見て焼き付いとる、被爆前の広島の航空写真や、のちに原爆ドームとして有名になる産業奨励館が立っとる姿をカラーで動いとるのをみたら、もうわしゃあやれんかったよ。この街が八月六日にぁ、ああなるいうのが、もうわかっとるんじゃけぇ。あそこにおった普通のひとらがどうなるか、知っとるんじゃけぇ。

それでも見つづけることができたんは、すずの、そしてその声をあてた、のん、の演技じゃったようにおもう。そのままみたらつらすぎるけど、今でいうたら天然でぼーっとしとるすずさん視点でずっと描いてあるけぇ、変な戦争反対、原爆反対いうような、そういう大きい話にならんかったんが、わしにとっちゃ、ほんまによかった。

この映画をみて、おおきな物語として何かを決意するひとがおるかもしれんし、ただの娯楽としてみて、ええ映画じゃったね、いうて忘れていくひともおるじゃろう。

でもわしは、何があっても日々をなんとかできれば楽しく生きていくいうんは、生き方次第のことじゃいうんと、どんなに人間関係やらで苦しぅても、日は照り、月は欠け、トンボは飛び、たんぽぽは綿毛をつける、この世界の上での話なけぇ、変に地に足がついとらんところでしかものを感じられんようになったらいけん、いうことが印象に残った。

すずさんもあのまま生きちゃったいうても、もう老衰で亡くなっとる歳じゃろうおもうけど、広島で拾った子供やら周作さんと、貧乏かもしれんけど、幸せな家庭をきずけとったらええね。