韓国映画をあまり見る機会がないせいか、異世界感がある。
似たような顔、似たような湿気、似たような部屋。
読めない文字、聞き取れない言葉、そしてリアルな暴力。
暴力シーンが、痛い。イタいじゃなくて、痛い。
もちろん暴力シーンは映画的な見栄えを要求するエンターテインメントの一つだということはわかっている。李小龍のジークンドー、ジャッキーチェンのクンフー、時代劇の殺陣。今や武器もワイヤーアクションも空手もボクシングもクンフーも何でも使って見栄えの良いアクションシーンが作られていく。
この映画にもそういう配慮はもちろんあるのだが、技のかっこよさよりも、ダメージの方が、見ているこちらに伝わる。
と言っても、本当に怖いのは、物理的な暴力ではなかったのだが。
主人公すらもたまに見せるが、周りの刑事やヤクザたちの、人をモノとしか見ていない視点が圧倒的に怖い。
自分が「モノ」扱いされ、人間であることを止めて自分のことすらモノ扱いするようになるという心理的な過程とその行動、そしてそれに蟷螂の斧で立ち向かいそれが奏功したり逆に叩き潰される心理的な葛藤が辛い。
例えば。嘘でも何でも自分の都合のいい証言が取れればいいんだろうと、女性に催淫剤を施そうとするシーン。物理的な暴力としても見ても、怖い。だが、自分の性欲望を満たすためのモノであれば、許せはしないが、まだ理解ができる。それは自分の欲望という悪い意味での人間らしさの真っ黒なところの表現だから。しかし、犯人を捕まえるという職務に忠実さに裏打ちされ、相手をモノとして見ている虚ろな眼の表現と合間って、非人間的すぎて怖い。
小説文体としてのハードボイルドは、あまり一人称語りを入れずに行動だけを記述することで、その先の心理を浮かび上がらせるというものだ。この映画の場合も、特にナレーションなどで補ったりしない。文字にした瞬間に嘘やありきたりになる表情で、それを語っていく。
話自体は、構成もキャラのつけ方も、よくある話だ。しかし、グレーとブラックの間の無諧調のグラデーションの表情や所作から、目が離せなくなった。