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見たものと、読んだもの

クリスチャン・ザイデル『女装して、一年間暮らしてみました。』サンマーク出版

面白い。内的な男女って、色々あるもんね。 

女装して、一年間暮らしてみました。

女装して、一年間暮らしてみました。

 

最初に、ももひきが嫌だから、ストッキングを履いてみたらどうだろう、というところから始まるドイツ男子の女装の旅。

女装といっても、性的にはヘテロのまま。妻とは性交渉もあるし。

 

女装をすると自分が解放される、ということに気がつく(男装すると、男性性を纏わなくてはならなくて窮屈)

女装をすると、女性が「仲間」として接してくる(男装すると、女性がよそよそしくなる)

 

というところを、色々とハマり具合によって考えてきたり、女子会を女子として参加してみたりと、自分の中の女性性を真正面からみていくのが、面白い。ある意味、いかに内省をしていなかったのか、ということのような気もするけど。

赤裸々だし、ユーモアある感じだし。軽く一読するには、とってもいいと思います。真面目にフェミニズム的な本を読むのって、結構シンドイし。

 

ただ、書いていないことを想像すると、違和感があるのも確か。

女装したら「美しい」ということ。好みの問題やお世辞の問題もあるけど、女装したら不細工だったとして、これほどこの人は楽しめただろうか? ポリティカルにはコレクトではないが、美醜によって人は割と簡単に態度を変えると思っているんだよね。

ビジネスで成功しているために、あくせく働く必要がなかったこと。普通の人に、こういうことをできる金銭的な余裕はあるだろうか?

だからある意味、高等遊民的な気づきであるような気もする。

高等遊民だから悪いということではない。でなければわからないことは、啄木や太宰を見てもわかる。でもなー、そうやって解放された中で暮らすのは確かに理想だけど、たとえは悪いが、遺産で一生働かなくても生きていける人に、体を壊すんだったら働かずに治さないと元も子もないよ、と言われているような、居心地の悪さを感じなくもないのだ。

女性は女性を、男性は男性を演じているような気がするし、そこからも解放されると気持ちがいいのだろうとは思う。しかし、それを押し殺しながらそのスーツを着ないとうまく社会のレールに乗って暮らしていけないという現実もある。それを必要悪というのが、思考停止と言われればそれまでだけど、うーん、苦い。

自由を自由のまま謳歌するには、何が必要なんだろうなあ。