背筋が伸びるところでした。武神だからか、強さとか、厳かさというような感じが強かったかな。杉を中心とした神域の森林も豊かでよかったです。
祭神が、出雲の国譲り関係の武神
葦原中国平定(日本書紀)
どちらも神武天皇時代の創建なので、約2700年前の話。
(正確には、鹿島が神武天皇元年、香取が神武天皇18年)
武甕槌神(鹿島)と経津主神(香取)とがセットで天照大神から出雲に遣わされ、大国主命(出雲大社)から国を譲られる。
(経津主神は、日本書紀には記述があるが、古事記に記述されていないところに、2000年前のちょっと大人の事情を感じるが)
対蝦夷
日本の二大武神でもあるので、北への備えとして、どちらも本殿は北を向いているという。この場合の北への備えとは、平安時代に坂上田村麻呂が討伐に行く、蝦夷のこと。
※坂上田村麻呂って、清水寺を作った人なんですね。征夷大将軍としてしか知らなんだ。
武道の神
武神なので、弓道場などがあったり、古武術の演武大会が行われる。また、道場に「鹿島大明神」「香取大明神」の掛け軸があることが多い。(香取慎吾が主演のNHK大河ドラマ『新撰組!』で、「香取慎吾が主演だからと行って『香取』の掛け軸をかけるとはふざけるにもほどがある!」なんて意見があったのはご愛嬌)
鹿島神宮には塚原卜伝のロケ地だったという碑が立っていたりもしました。
香取神宮には、天真正伝香取神道流の創始者である飯篠家直(法名:長威斉)のお墓があります。奥宮のすぐそば。
要石
鹿島のレリーフがわかりやすい。森の中、要石の150m手前。
石自体はそんなに大きくない。直径が20cmあるかないか。
鹿島神宮(左)は、ナマズの頭を押さえていて、凹がある(ちょうど小銭が)
香取神宮(右)は、ナマズの尻尾を押さえていて、凹がない。(凸とは言えないかも)
どちらも奥宮の近くにひっそりとある。
香取のは近くに香取護国神社があるが、鹿島のは森の中。
※どちらかのかは定かではないが、黄門様が掘らせてみたけれど7日たっても石の全貌が明らかにならなかったという伝説がある。
1855年の安政の大地震の時に、武甕槌大神がナマズを踏んでいる錦絵が流行ったらしいが、その錦絵は鹿島神宮の社務所で見ることができる。
これだったかな、自信がないけど。
By 匿名 - http://www.wul.waseda.ac.jp/kosho/chi05/chi05_4048/, パブリック・ドメイン, Link