お盆が近いせいか、死というか冷凍された過去を解凍するような展示会のように見えた。
この直後、塩田千春を見にいったのだが、なんとなく繋がっているような感じでよかった。死と不在と記憶。
どちらの作家さんも初見で、予備知識なし。
クリスチャン・ボルダンスキー『Lifetime』@国立新美術館
ボルダンスキーの展示は、展示室に入った瞬間の暗さからして、死を思い起こさせるものだった。
たくさんのぼんやりとしたモノクロ写真、祭壇として飾られたり、長方形に飾られたりする。どうしても、IWMのホロコースト展示映像が連想された。 『保存室』というコートが単に大量に吊るされているのは、ガス室送りになった人たちのそれを彷彿させる。
そんな中で、ちょっとかわいい死神が影絵で示される。誰かの悪意で戦いの末に敗れるというよりは、幼児が無邪気に虫の頭を引き抜くような、そんな圧倒的な無力感に出会ってしまうような死。
その直後に、現れる巨大な『ボタ山』もそう。たくさんの同じ色のコートがボタ山のように積み上げられる。廃棄物としての遺体。
懐かしいあの人の記憶、ではなく、人がモノにされてしまうという即物的なマクロな死。死という運命に会ってしまった、というような。
その後に展示される、『アニミタス(白)』や『ミステリオス』などは、死んで、いったん融けて、霊とか何かになった後に人類のいない荒涼とした下界をみているような感じだった。人がいなくなったが、その香がかすかに漂って消えていく様子を観察するような。
自分にとってのみ通じる景色ではないのに、自分の極々私的な所に刺さっていくというのは、なかなか面白い。
美術手帖による記事。展示の写真も豊富。
今回(2019年)の展示に関するインタビュー
2016年の庭園美術館で行われた大規模展示の際のインタビュー
ボタ山を作っているところなど
国立新美術館の公式ページ