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見たものと、読んだもの

カガノミハチ『アド・アストラ -スキピオとハンニバル-』

タイトルはラテン語の Per aspera ad astra (Through hardships to the stars) という格言から。後のスキピオ・アフリカヌス (Scipio Africanus)が、カルタゴの名将ハンニバル・バルカ (Hannibal Barca) という困難に打ち克ち、ついには倒すという物語を、全13巻の漫画で綴るもの。

この二人の戦いはきちんと読んでみたかったので、とても楽しかった。

戦史上著名な、カンナエの戦い、ザマの戦いを絵としてみることができたので、非常にわかりやすかった。

マイナス点は、感情を持たない虚な雷神の子としてのハンニバルのエピソードが第一話で語られるのだが、これが背骨になりきれていない点。孤高の天才の悲しみというのにもちょっと惜しい。彼と戦いそして最後に勝つ大スキピオも、うまくやってはいると思うが、どうしてその歳で最高権力者を目指すのかという個人的な欲望というか動機が今一つわからなかったというところか。そこは、私の感受性の問題かもしれないのだが。

あと、かなりリアルだからこそ、触れて欲しかったのは、約20年、イタリア半島で戦ったハンニバルは、彼の軍隊は基本的には移動国家のようなもののはずで、そうなるとどういう運営をしていたのかという点。共和制ローマは、軍人は徴兵制で、植民地に移住してそこで退役して家族を持つということをやって国土を広めていった。ハンニバルは、カルタゴからの支援も特に受けているように見えないし(ローマに制海権を取られていたので、実際兵站をなんとかできたとも思えないし)、どうやっていろんなものを調達できていたのかが、今ひとつわからない。ガリア人も、自分の民族の土地から離れて、南イタリアにいたときって、どうしていたんだろうね?

まあそういうことを書き始めると、話の筋がずれるから、単純にハンニバルスキピオの戦いというところに焦点を絞るのは良かったと思うのだけれど。

ハンニバル・バルカ / Hannibal Barca

ハンニバルといえば、あらゆる映画でその名を馳せる。

ハンニバル・レクターといえば、『羊たちの沈黙』の天才博士のことだし、あだ名のハンニバルといえば『特攻野郎Aチーム』の大佐のことだ。

名前としては出てこないが『銀河英雄伝説』のローエングラム伯の登場シーンも、ハンニバルの登場を思わせる演出だし、まあ、何らかの引用には必ず出てくる。

名リーダーであり、あらゆる困難に打ち克ち、必ずミッションを完了する戦争の天才。

その元ネタが、ハンニバル・バルカ /Hannibal Barca。紀元前2−3世紀に活躍したカルタゴ(現チュニジア)の名将である。 

Hannibal Slodtz Louvre MR2093.jpg
Sébastien Slodtz (French, 1655–1726) - Jastrow (2006), パブリック・ドメイン, リンクによる

 

なぜ、彼は名将とされるのか。

それは、BC221年、イベリア半島東岸の現スペインはバレンシア州バレンシア県のサグント /Sagunto、当時のSaguntumから、アルプス山脈を越えて、BC218年、当時の世界一の大国の共和制ローマに攻め込み、約20年に渡って蹂躙するという第二次ポエニ戦争 (Second Punic War / Secundum Bellum Punicum) を率いた将軍だからだ。

 

Hannibal route of invasion.gif
Frank Martini. Cartographer, Department of History, United States Military Academy - The Department of History, United States Military Academy [1], CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 

塩野七生ローマ人の物語』では、イタリアではいまだに子供にいい子にしていないとハンニバルがくるよ、と言って震え上がらせるという話が載っていたが、ちなみに、複数のイタリア人に聞いたところそんなことはなかった。ナマハゲ的な扱いのハンニバルはすでに御伽噺の世界かもしれない。

BC216年 カンナエの戦い/Battle of Cannae

戦史的には、カンナエの戦いでの包囲殲滅戦による大勝利が有名。

南イタリアカンナエで、ハンニバル軍50,000名、ローマ軍70,000名という大会戦。

数で勝るローマ軍が得意の重装歩兵で中央を押しているうちに、押しすぎさせられてしまい、両翼を騎兵が包んで、極度の密集状態を作り上げ、全方位から包囲殲滅した。これを絵で見ることができたのは、とても分かりやすかった。

 

以下が戦史的な説明図。

青がハンニバル軍、赤がローマ軍。ローマ軍が負けるようには見えませんね。

Battle of Cannae, 215 BC - Initial Roman attack.png
The Department of History, United States Military Academy - http://www.dean.usma.edu/history/web03/atlases/map%20home.htm, パブリック・ドメイン, リンクによる

これがこう囲まれると、どうしようもなくなる。長い剣、超密集。全方位敵。踏み潰されて圧死するものも出る。

Battle cannae destruction.png
Frank Martini. Cartographer, Department of History, United States Military Academy - The Department of History, United States Military Academy [1], パブリック・ドメイン, リンクによる

 

ローマ最大権力者である執政官は独裁を防ぐために毎年2名選出されているが、二人とも会戦に参加し、ルキウス・アエミリウス・パウルス/ Lucius Aemilius Paulus が戦死、もう一人のガイウス・テレンティウス・ウァロ/Gaius Terentius Varro が敗走。元老院の四分の一が戦死した。

The Death of Paulus Aemilius at the Battle of Cannae (Yale University Art Gallery scan).jpg
John Trumbull (1756-1843) - Yale University Art Gallery - The Death of Paulus Aemilius at the Battle of Cannae, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

数でも、ハンニバルの損害5,700死傷に対し、ローマ軍60,000死傷。

数で劣る軍が、質量ともに勝る敵を打ち破るという、ドラマチックな話の一つ。

とはいえ、ローマ軍がもう一踏ん張りできて、中央突破できていれば、予備兵10,000名が後ろから強襲をかけていれば、逆包囲すら可能であったので、勝敗も損害も、全く逆になった可能性がある。あまりにも有名すぎてこれに習おうとして失敗するものも多数。

質量ともに大被害を受けたローマは、戦略的には、ここから篭城戦に入る。一つの戦いで戦略レベルをかえた戦いでもある。しかしながら、ハンニバルは、ここからは篭城するローマを落とせない。同盟都市の各個切り崩しもあまり成功しない。敵本国で無敵を誇りながら、今のナポリあたりに閉じ込められ、戦略的には勝ちきれないのだ。

スキピオ・アフリカヌス(大スキピオ) / Scipio Africanus

 敵将であるハンニバルに学び、ついにはザマの戦いで彼を破り、カルタゴを屈服させ、アフリカヌスの尊称を得たのが、大スキピオである。

Escipión africano.JPG
Miguel Hermoso Cuesta - 投稿者自身による作品, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 

この漫画では、スキピオはBC218年のローマ市内から登場する。

その後、イベリア半島からローマに向かうカルタゴ軍を攻めようと、ローマとヒスパニアの中間地点であるマッシリア(現フランスのマルセイユ)に行軍し、ハンニバルはアルプス越えをしようとしているのではということに初めて気づく軍事の天才として描かれる。

敵であるハンニバルから学び、若さからの妬みでうまくローマからのバックアップを得られない中でも政略/戦略上の優位性を得ながら、戦術でも負けない軍を育成するという、まあちょっと出来過ぎな感じもするけれど。今だったら無双すぎてなろう小説と言われてもしょうがないかもしれない。

ガリア人よりも小柄なローマ人は、長い剣を捨てて短いグラディウスと盾ですばしこく動くことで密集戦での強さを発揮できるようになるというのは、発想の転換で面白かった。日本の戦国時代だととにかく長い槍持った方が勝ちくらいになるのにね。

BC202年 ザマの戦い/Battle of Zama

大スキピオの一番有名な勝利は、ザマの戦い。

Arista romano, battaglia di zama, 1570-1600 ca 01.JPG
I, Sailko, CC 表示-継承 3.0, リンクによる

 

ハンニバルの兵力 - 歩兵:58,000人、騎兵:6,000騎
スキピオの兵力 - 歩兵:34,000人、騎兵:8,700騎

これを、カンナエの戦いの逆で、数に勝るハンニバルを、スキピオが包囲殲滅してしまう。

中央の青がハンニバル (Annibale)、赤がスキピオ(Scipione)

Battaglia di Zama-piano di battaglia.png
DaniDF1995 - File:Battle of Zama-battleplan.png, CC 表示 3.0, リンクによる

0. 戦象をカルタゴ軍がローマ中央に突撃させるが、ローマ軍が受け流し、無効化する。

1. 両翼のローマ騎兵が、カルタゴ軍を追跡し戦場から離れる

2. 中央のローマ軍団が、カルタゴ軍 (Mercenari/傭兵、Cittadini/市民、Annibale/ハンニバル本軍) を攻撃 

3. ローマ軍団が、中央を押し込み、1で離脱していた騎兵がカルタゴ軍の後ろから攻め込み、包囲を完成する 

 

この勝利によって救国の英雄としてアフリカヌスの尊称を得る大スキピオであるが、後年はその名を恣にしすぎて、大カトーに主導権を握られ、政治の舞台から降りていく。