みなもと太郎が描きたいのは幕末なんだけど、幕末を描くためのバックグラウンドがわからないとなんでこのキャラクターたちがこういう動き方をしたのかわからないから、そうだ、わかるようなところから描いていこうぜ、ということで関ヶ原の戦いから描き始めた、大河歴史まんが。
関ヶ原から幕末の志士たちが生まれた位までが、全20巻(完結)
風雲児たちの完結後の本編「幕末編」が現33巻で続刊中。
1巻のはじめが、1845年。
33巻が終わっても、まだ岡田以蔵は生きているし、松平容保が京都守護職に着任しようかという1862年(文久2年)。単純計算で17年を33巻。なので、明治改元(1868年)まであと10巻は少なくともかかりそうなペースですねえ。ドラマ性考えると、20巻かかっても不思議ではない。
細かいところまでフィクションも交えて流れを描いていっているので、幕末がお好きな人にはおすすめです。
話の芯に、関ヶ原の合戦以降の、徳川、薩摩島津、長州毛利、土佐山内、会津松平の因縁もある。しかし私は、鎖国をして、他の国との交易をしようというのに家康が決めたという前例主義/権威主義でそれが続いていき、それではいかんと模索し始めた人々をほとんど蹂躙して鎖国体制を守っていたことに対する憤りこそが、通奏低音として流れているように思う。
もちろんそれは、結果を知っている未来人だからこそ「ああやっておけばよかったのに」という後付けの知恵かもしれないが、大黒屋光太夫、高田屋嘉兵衛や尚歯会メンバーなど、彼らの知恵と経験を生かしていれば、オランダ館長のアドバイスをもっと早くに聞いていれば、もっと違った、少なくとももっと血腥くない開国はあったかもしれないなあと思いながら読んでいます。
ただ、佐久間象山がいうように、目を覚まさせるために、あえてという手段を取らないといけなかったかもしれないので、また別の血生臭いルートになっていた可能性も捨てきれないので、歴史のifはなかなか難しいところですが。
幕末編は、NHK大河ドラマ『龍馬伝』がお好きなら、こちらもお好きかも。