銀河英雄伝説は、確か大学生の時に友達に勧められて読み始めた。
すでに全巻が出版されていた。多分1週間とかからずに全部買って読みきった、と思う。
私が読んでいたのは徳間書店版なのだが、今は色々な版があるんだね。
新版アニメもある。
Amazonプライムに、旧版もある。
しかし、今見てみるとすごいね、階級が。40代の将官があんなにいるものなのか、みたいなびっくり感がある。ラインハルトが20歳で上級大将ってのもなかなかにすごい。まあ、これはスペースオペラの楽しいところなので、しかめっ面しく文句を言う筋合いではない。
今読んでも古いと思うところはある。古さは、遠い未来から見た歴史書と言う体裁からくる、演出としてのものとして成功している。ただ、もう一つは、敢えてなのかどうかはわからないが、戦闘のあり方の部分である。これは1980年代に書かれたものとしては、ある意味しょうがないと言える。
まずは、紙がいまだに全盛であることと。これは、現代では電子画面(スマホやモニター)に取って代わられてしまったし、そうなっていくだろうこと。もう一つは、大艦巨砲主義+戦術の二次元的なところだ。この辺りは、私はいまだに『マトリックス』が最先端になってしまっているのではないかと思っている。
マトリックスの時代は、ある意味「クラウド」が前提の世界とは何かという思考実験なところもあった。当たり前だけど、繋がらないと「クラウド」にはなれないからね。そういう意味で、クラウドの概念を一度捨て去って見るという一回りしてかえって新しい考え方を強いているかもしれない。
通信ができない宇宙戦艦って、オンプレシステムだからねぇ。
小説版を読み返しながら思って、残念ながら自分が嫌だなと思ったことがある。
ヤン・ウェンリーが好きな理由だ。
彼は常に正しい。政略や戦略には口を出せないし、出そうともしない。しかし戦術的には絶対的に正しい。周囲の人から、そこまで戦略の方が上位概念で大事なら、いっそ政治家として打って出て、正しいことをすればいいと言われても、それはやらない。
それは、とある事情があって戦略レベルのことには手を出さないが、常に正しい自分がいて、そして対になって蔑んでくる連中がいて、それらに対して無双して勝つ。
そういうあり方が、自分が正しいはずなのにという自己憐憫の高さと無謬性を楽しむというところで終わるならば、割と自分が惨めなネット弁慶的なものに見えてしまうところが、嫌なんだなと。(その矜恃に対して尊敬する部分も大きいので、ヤンがダメと言っているわけでは決してない)
そういう意味で、毀誉褒貶を踏み潰して、打席に立ち続けるラインハルトの凄さを感じるようになる。
一つの作品を長く愛でるのは、見方や好みが変わっていくので、面白い。