人と繋がって、変わるということの、喜びと辛さの物語。
ビルディングロマンとしてのラブコメ
プログラムピクチャ的なものの寄せ集め感はあるのだが、そこが逆にフツーの人々のありきたりな人生の中で起こることというリアリティがあるように思う。ポジティブに言えば「王道」。
割と受け身な男性主人公が誰かに会って変わっていく、となると、普通はファムファタールの話になる。こういう話はすごく多い。受け身だと、そのまま自分から能動的な存在に変わるきっかけを作るのが難しいが、女性に振り回されるとなるとその辺りのストーリーテリングが、とても楽だし、コメディ要素も入れられる。
しかし、話を始めるのは簡単でも、そこからリアリティを持って話を進めるのは難しい。普通は、イチャイチャラブラブという二人の関係性だけでもたせるような感じになる。この物語は、そちらには行かなかった。主人公にとってのメンタルのブレイクスルーを見せるという、勇気のある行動を見せていく。
トリプルヒロインである、星野海咲、松方いおりと加納愛那果のキャラと関係性がいい。天然暴走系だが性格の裏側に主人公と同じ辛さを持っているもの、腹黒孤立系だが自分のやりたいことに拘って進んでいくもの、過去の精算をどうしていいのか分からなくて今をスポイルしているもの。いわゆるハーレム物とは異なり、主人公を好きになるべきベースが丁寧に描かれる。
終わり方あれこれ
ブログをめぐると、終わり方に不満がある人がそれなりに多かったようだ。
作者の言い分も、読者の期待もわかるので、正解が何かはわからないのだが、なんとなくフジ月9の『ロングバケーション』で、表題のとおり長い休みが終わったら二人とも日常に帰るとしたかったが、あまりにも人気が出たのでそうできなくなった、というエピソードを思い出す。
個人的にはあの最後(単行本のエピローグではなく、おそらく連載最終回)は、円環が閉じたように見せかけて、次のステップに進んでいるという話なので良いと思う。外連味という視点からすると、やはりエピローグのエピソードのようなもので終わって欲しかったなあエンターテイメントとしては、とも思う。賛否両論も仕方がないか。
蛇足としての成長譚話
自己肯定感が少ない場合、「本当だったら、こんなことがやれるはずなのに!」ということを拗らせる。「こんなこと」は大きく分けて二種類で、「自分が自分そのものであることを、誰憚ることなく見せることができ、それが許される(できれば称賛される)」あるいは「今を謳歌するスクールカースト最上位の人に取って代わる、ないし最上位メンバーになり、称賛される」というものだ。
前者は自己確立の話。後者は(間違えると)虚栄の話。
ビジネスでいうと、商品として価値があるのに認められていないが、商品としての価値自体には手を入れずに、それが売れるようになる話が前者。後者は、商品が売れるようになって、それに合わせて商品の質が上がる話。商品の、高品質化が先か、販売力向上が先か、というような。
自分を自分のままで認めてもらう話
前者は、すでに自分の中に芽生えている「これがないと自分じゃなくなる」というコアを、どう芽吹かせるかという話になる。そして、王道の物語だとそのコアは、他人にとっても貴重で、最終的に自己肯定感の向上と、他者からの承認が得られて大団円となる。場合によっては、それは他者から見て忌むべきものが発露してしまい、狩られる悲しいお話になる。現実は、コアもありきたりなものであり、人として普通に生きていくことを承知して、自分が特別でなく生きていくことを受け入れることになる。
あるがままの自分を受け入れ、それで生きていき、あるがままの自分を開示することで大団円になる近年の映画作品と言えば、これでしょ。
エルサはずっと見せないことを頑張ってきて、それが無理になって逃亡して、それでも自分からは(そして外界からも)逃げられないことを悟って、自分のままで生きていく。そしてそれが大団円に結びつく。
炭二郎は「長男だから耐えられた」というところ、エルサは長女として耐えようとして耐えられなかったお話。
逆に、自分が自分であることを優先した結果、人に去られるという話もある。
The Devil Wears Prada/『プラダを着た悪魔』2006
プラダを着た悪魔 予告編 The Devil wears Prada - trailer + Brands
これ、誰に感情移入をするかで、全然感想が異なる映画なのだけれど、私はメリル・ストリープ演じるミランダを軸に見てしまうんですよね。そうすると、孤独な人がやっと自分を理解できる人を得た瞬間に失われる映画のように思える。
ミランダの下敷きになったアナ・ウィンター/Dame Anna Wintour DBE(1988年からアメリカ版 "VOGUE" 編集長を務める)って、その孤高はいかばかりか。(もちろんそれ以上に理不尽なのだろうけど)
自分を虚栄との綱渡りで見つけていく話
後者は、なりたい自分が、他者からの称賛部分に焦点が当たっているけれど、自分でやりたいことを見つけていない場合が多い。少しずつ成長しながらそれを見つけていくというビルディングロマンスになることもある。虚栄心だけ満たされ、実力もなくそうなったが故に、その没落を描かれるハメになることもある。現実は、空っぽの自分を受け入れて、ありきたりに生きていく。
Back to the future(1985)
チキンと言われたくないことで、トラブルに巻き込まれたり、それに見合う自分になろうとしたりと、それを見てドキドキワクワクする楽しみ。
成長しない主人公
しかし、主人公は成長しなければならないということもない。
『ウルフ・オブ・ウォールストリート』 The Wolf of Wall Street (2013)
実話ベースのお話。
ディカプリオの迫真のクズ演技! 彼はお金儲けがしたくて、その野望を叶え、めちゃくちゃになり、そしてまた生きているのだが、彼は虚栄を生きていく。おそらく彼にはなりたい自分はなくて、人から称賛されるあるいは、資産が多くあることにしか興味がない。それ以外は、その場の快不快があるだけだ。
まあ、法も倫理も超えて自分のしたいことだけしたい! というのを突き詰めてフィクションとして見せるのも、映画の楽しみですわな。