ジャンルとして、異世界や戦記だけでなく、ダークファンタシーと称しているのが、このお話のミソだよなぁ。
ハードさが同程度で、原作者が同じカルロ・ゼンの『売国機関』との違いはここにある。主人公を幼女にしてあるが故のダークさの際立ち。
この20巻は、主人公だけが知る、未来の絶望を、読者とともに味わうという趣向だ。
世界大戦という概念のない異世界に、2度の世界大戦を経験したものが舞い降りたならどうなるのか。
彼ないし彼女は、悲劇の予言を行うカサンドラとして狂言回しをするのか。
いや、やれやれと第三者的にため息をつくことを作者は許さない。
世界大戦の闇の底無し沼のなかで、当事者として戦い足掻き、世界大戦の記憶のある読者とともに沼に沈んでいくことを、宣言するのが、この巻である。
世界大戦の行先が、最終的にはどうなるか、我々は知っている。
しかし、当時の人は知らない。知るわけがない。構想しうるわけがない。
IWMで塹壕のレプリカの中で、現実は、砲弾の煙に覆われた空、吹き込む雨と泥濘、戦車の無限軌道の軋み、ボムシェルにやられた同僚と、同僚だったものが転がる足下がスーパーインポーズされるのだと悟った、その絶望を数万倍にもなるものが、ターニャには去来しているのだろう。
今までは、この異世界で唯一世界大戦を知っており、その使い方を知っており、そしてそれを最大限に利用することができるという、異世界無双もののみが行使できるチートの限りを尽くしたその先に、それでもなお、どうしようもない壁をみることを、絶望と言わずして、なんというのか。
ファンタシーはフィクションである。魔導というものは、この世に存在しない荒唐無稽なものである。だからこそ、気軽に摂取し、現実世界で気分の悪い時に逃げ込める癒しなのだが。
20巻まで読んで、私はターニャには大変同情している。感情移入している。
この濃さから言えば、二十から三十巻かけて、敗戦まで戦いは紡がれるのであろう。
荒唐無稽痛快無比を楽しんだ後は、彼女が最後どうなるのか。物語の目撃者としては、それを最後まで見届けなければならん。元の世界では得られなかったチームを得られたということで、大戦の敗戦という歴史の舞台とは別の、彼女にとっての何がしかの勝利を持って、物語が終わって欲しいと、願うばかりだ。