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見たものと、読んだもの

スタンリー・キューブリック『フルメタル・ジャケット』(FULL METAL JACKET) 1987米

なぜか、今更初見。

これが元ネタか、というのが多すぎて、話の筋というよりもそっちの方が気になってしまった。

フルメタル・ジャケット (字幕版)

フルメタル・ジャケット (字幕版)

  • 発売日: 2013/11/26
  • メディア: Prime Video
 

謎を提示した後で、観客の「なぜ」で物語を引っ張り、大団円に持ち込むというミステリー駆動タイプの映画ではないのにびっくりした。『時計仕掛けのオレンジ』(1962)も『2001年宇宙の旅』(1968)も私にとってはミステリー駆動だったので。

とある若者が、戦争に駆り出される事になり、ブートキャンプに入れられ、戦場に投入される。ただそれだけ。ベトナム戦争が終わりなき戦いの中で、ずっと続いていたように、ただただ日常が続いていくのを活写するだけ。

それだけなんだけど、そのリアリティがすごい。「ホント、戦場は地獄だぜ」というのを見せつけられる。テレビモニタがどこでもドアで、当時のベトナムに繋がっているかのような感じ。

映像の魔術

あと、映像がおもしろいのは、基本的に全画面にピントがあっているところ。

『セブン』のデヴィッド・フィンチャーなんかが対極で、被写界深度がとても浅いので、全体を見せたいとき以外は、前あるいは後ろはボケている。 


David Fincher - And the Other Way is Wrong

ちなみに、『セブン』のモーガンフリーマンの上司は、この『フルメタルジャケット』のハートマン軍曹役のR リー アーメイである。

 

このため、フィンチャーの映画は、監督が視点誘導をしているのだというのが、わりと意図的にみえてくるのだ。

しかし、キューブリックの映画は、わりと全画面にピントがあっているのに、なぜかそこに視線が誘導されてしまう。なぜだかわからない。映画学校で学べばもしかしたらわかるのかもしれないが。非常に作為的なはずなのに、なぜそうされているのかわからない。だからただ、映画のスクリーンというどこでもドアの向こうの非日常に、投げ込まれたような気がする。

しかも、戦場という地獄に。

 

元ネタの宝庫

戦争は地獄だぜ

はい、パクられまくっているけど、これが元ネタ。


【フルメタル・ジャケット】 Get Some

ain't war hell!

直訳すると「戦争は地獄だ」

字幕は「ホント戦争は地獄だぜ」この「ホント」がすごく効く。

ain'tは、文脈によって随分変わるので、ここでは "Don't you think war is hell? HAHAHA" くらいの感じで理解している。

ain't ってよくわからない、砕けた(場合によっては粗野な)言葉だ。

[be動詞] + [否定 not の短縮系] = ain't という説明もあるのだが、have not という解釈もある。ソウルの名曲 "Ain't no mountain high enough" は "There is no mountain high enough" と理解すべきで、"It is not no mountain high enough" と解釈すると否定がダブって意味がわからなくなるという、正統文法からは外れる使い方。何で習ったのか忘れてしまったので間違えているかもしれないが、否定系を重ねるのは否定を強くする意味で使われることがある、というやつかもしれない。となると、" never" を入れて強くしたくなる。"There would never be a mountain high enough" という、完全なる存在否定。「越えられない山なんてないぜ」


Ain't No Mountain High Enough

Ain't no mountain high.
Ain't no valley low.
Ain't no river wide enough baby.

登れない山はない。越えられない谷はない。渡れない川はない。君のためなら。

 

逃げないヤツはよく訓練されたベトコンだ

これも有名な元ネタ。字幕だと

逃げる奴はみなベトコンだ。

逃げない奴はよく訓練されたベトコンだ

実際に言っているのは、

Anyone who run is a VC

Anyone who stand still is a well-disciplined VC

直訳すると、「走る奴はみんなベトコンだ。立っている奴は、よく躾けられたベトコンだ」なのだが、字幕版の方が、戦争の狂気が滲み出る。disciplineだものね。ここだと「規律」というより「躾け」な感じ。サッカーだとよく規律という訳が当てられますが。

ついでに、

How could you shoot women and children?

も、よく英文法で出てくるやつで、

よくも女子供を撃てるな!

という非難の意味がある "How" なのだけど、文字通り

どうやって女子供を撃つのか?

と理解したのか、

Easy

と答えるのも怖い。徹頭徹尾、戦争の地獄さを、明るく話すところがまた地獄。記者の若者が吐きそうになっていなければ、ふらりとあちら側に行ってしまうかもしれないくらい、当たり前に地獄が口を開いている。

 

ちなみにこのマシンガンをぶっ放す人は、本来はハートマン軍曹役だったらしい。が、演技指導の人 (Ronald Lee Ermey) が良すぎて、外されてこちらにあてがわれたらしい。原作にはこの機銃手にはセリフもなかったらしいから、セリフをつけてあげたのかしら。

VCはベトコン(Vietcong)の略ともVietnamese Communist(ベトナム共産党)の略とも。南ベトナムに肩入れしている米軍に敵対する南ベトナム解放戦線。

しかしまあ、ハートマン軍曹を含めて、みんな言葉が汚い汚い。Fワード、Sワードだらけ。(卑語系は、最後に蛇足として付け加えました)

 

祈りと詠唱 


フルメタルジャケット ガチ

この祈りというか、呪文詠唱のシーンも有名というか、多分戦闘系ファンタシーの口調に大きな影響を与えているように思う。

This is my rifle. There are many others like it, but this one is mine. My rifle is my best friend. It is my life. I must master it as I must master my life. Without me, my rifle is useless. Without my rifle, I am useless. I must fire my rifle true. I must shoot straighter than my enemy, who is trying to kill me. I must shoot him before he shoots me. I will. Before God I swear this creed: my rifle and myself are defenders of my country, we are the masters of our enemy, we are the saviors of my life. So be it, until there is no enemy, but peace. Amen.

字幕では

これぞ我が銃。銃は数あれど我がものは一つ。これぞ我が最良の友。我が命。我銃を制すなり我が命を制すごとく。我なくて銃は役立たず。銃なくて我役立たず。我的確に銃を撃つなり。我を殺さんとする敵よりも勇猛に撃つなり。撃たれる前に必ず撃つなり。神にかけてこれを誓う。我と我が銃は祖国を守護する者なり。我らは敵には征服者。我が命には救世主。敵が滅び平和が来るその日までかくあるべし。アーメン

尺に合わせて短くし、文語風になっていて、これはフォロワー出るよねぇ、という感じ。キューブリックは字幕にもうるさかったと聞くので、擬古文で訳したということは聞いていてOKを出したのだろうと思う。絶対、某アンデルセン神父とか、ここら辺の文体を真似ただろうという妄想が捗る。

 

直訳っぽく訳すと

これは私のライフルだ。似たようなものはたくさんあるが、これが私のだ。私のライフルは親友で、命だ。人生をマスターせねばならぬように、銃をマスターしなければならない。私なしではライフルは役立たずで、ライフルなしでは私も役立たずだ。私は私を殺そうとする敵よりも的確に撃たなければならない。敵が私を撃つ前に、私は撃たなければならない。そうする。神の前にこの信条を誓う。私のライフルと私自身は、この国の守護者だ。我々は敵を制圧する。我々は自分の命の救世主だ。かくあれかし。敵がいなくなり、平和が来るその日まで。アーメン。

のようになる。全然かっこよくないなぁ。文語調って締まるね。

そして最後に、ミスマッチなはずなのにピッタリくる音楽


フルメタルジャケット ミッキーマウス

このシーンに、「ミッキーマウスマーチ」を合わせたり、宇宙に「青き美しきドナウ」を合わせたり、キューブリックの音楽感覚は、映像と音楽とをかけ離れた物を合わせるという非常に特異なやり方をしていて、しかもそれだからの凄さを出すという、天才としか言いようがない。普通にやったらただのミスマッチというところなのに。


2001: A Space Odyssey (1968) - 'The Blue Danube' (waltz) scene [1080p]

『時計仕掛けのオレンジ』の『雨に唄えば』のシーンは、吐き気がするほど嫌いなので貼りません。数年、『雨に唄えば』が聞けなくなったくらい。しかし、ミスマッチの恐怖という意味では、出色。

そういえば、『レオン』に『雨に唄えば』の映画を見るというシーンがあるのだが、掃除屋レオンの暴力性も裏にあるということを示していた? 裏読みしすぎかな。

フォロワー例『渇き。』

これ系で日本で凄かったのは、エヴァの『今日の日はさようなら』『翼をください』の童謡系もすごいけど。中島哲也『渇き。』(2014)が強烈かな。


渇き。 - でんでんぱっしょん -

暴力シーンとEDMアイドルソング合わせとか。でんぱ組ってのもあって、狂気爛漫。吐きそうになるのに、目と耳が離せない。

蛇足

ちなみに、英語の卑語を学ぶなら、これがおすすめ。


History of Swear Words | Official Trailer | Netflix

 

人種的蔑称であるGook

ちなみに書き起こさなかったが、Gookは東南アジア人に対する蔑称。(東アジア人向け、と書いてあるものもあったけど、日中韓にはそれぞれ蔑称あるんで)聞き取りづらいが、たまに言っている。

クリント・イーストウッドグラン・トリノ』(2008)でも、主人公が、隣に引っ越してきた中越あたり出身のモン族の家族に対して使っている。自動英語字幕だと伏字になるのね、流石に。


Gran Torino - How Guys Talk Scene (1080p)

民族的蔑称をお互いに軽く言い合えるというのは、小さい頃からの知り合いなどで、わかり合っている者同士という粗野な親しみ感を醸し出す。しかし、余所者に対する蔑称は、排斥としてしか聞こえない。それを危ういバランスの上で見せているイーストウッド監督の手腕が光る。

黒人映画でも、黒人同士がNワードを使うのは親しみの表現なのに、白人から言われたらその瞬間発砲されるレベルの、誰が誰にいうかというのは、関係性が非常に大事で繊細な問題として描かれているのがわかるので、要注意。 

最後に、蛇足ながら付け加えますが、蔑称は、(騙されて言わされたりしないように)知るだけだったらいいけど、絶対使ったらダメですよ。全然笑えないから。