スーパーな腕を持つ職人が縦横無尽に活躍する短編連作的な作品は、手塚治虫『ブラック・ジャック』を含めて種々あるが、これはつまり落語なのだな、と言うことに気づいた。
『ブラック・ジャック』との共通点は、無法な金額、だけじゃない。
『ブラック・ジャック』は不可能と言われる難易度の高い手術を行うので、その希少性からその金額を支払わざるを得ない。『王様の仕立て屋』は不可能な納期を卓越した技術で達成するので、やはりその希少性からその金額を支払わざるを得ない。どちらもそれを成すことによって、技術料というより後の人生を買う金額だ。
短編連作となると、それだけたくさんの人が出てくる。となると、一部の高尚な人や大金持ちだけでなく、普通の人が出てくる。普通の人だとしても、普通は諦めるはずが、諦めきれなくて、普通でない金額を支払う。金に代えられない大望に対して、無理矢理金額換算するとして法外な金額を払うと言う等価交換。これは、人の業だろう。
人の業を肯定するのが落語だと言ったのは、立川談志。
エンターテイメントなので、その業は話の最後で肯定され、基本的にはうまくいくと言うイリュージョンを見せてくれる。良い意味で予定調和で安心できる。
もちろん『ブラック・ジャック』に医療トリビアがあるように、この作品にはメンズファッションのトリビアが満載される。なんせ、ナポリの仕立て屋の話だ。
ナポリをはじめ、ロンドン、パリと旅行気分を味わいながら読んでみると、なかなか楽しい。
通巻でシリーズになっているのではなく、いくつかに別れている。パッと順番が覚えられないので、シリーズの順番を備忘録として記しておく。
- 王様の仕立て屋〜サルト・フィニート〜 (全32巻)
- 王様の仕立て屋〜サルトリア・ナポリターナ〜 (全13巻)
- 王様の仕立て屋〜フィオリ・ディ・ジラソーレ〜 (全7巻)
- 王様の仕立て屋〜下町テーラー〜 (既刊8巻)
Sarto Finito / 究極の仕立て職人 (finito = finished。ここでは究極の位置に達した、か。Sartoは仕立てる職人さん)
Sartoria Napoletana / ナポリの仕立て屋 (sartoriaはサルトのお店。Napoletana = Napolitan)
Fiori di Girasore / ひまわりの花 (flower of sunflower)
ちょっと重箱の隅をつつくと、ここまで着るもののことを言うのであれば、ナポリをジャケットなしでシャツで歩く織部は、下着姿で歩いているのと同じなんだが、それは大丈夫なのかとか、レストランでナプキンを襟元にかけるとか、と言う描写があるので、どこまで真面目にとっていいのかわからない部分もあるので、そこはご注意。
しかし、テーブルマナーのYouTubeを見ると、結構皆さんバラバラなことをおっしゃっていて、また、初心者の間違いを嗤うようなものも多くて、なかなか見ていて辛い。マナーは、お互いが不機嫌にならないようにする一般的なプロトコルのことだから、「嗤われるから止めよう」から始まるという出発点がおかしいと思うのだがね。
参考
サルトフィニートの14巻までの詳細な感想。
ナポリの地図見ながらとか、いいですね。行った事ないけど行った気分にもなれて良いです。