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見たものと、読んだもの

吉田秋生『詩歌川百景』第2巻

人に優しい嘘。自分にだけ優しい本音。

弱さを飲み込む強さ。弱さを凶器にする無意識の卑怯さ。

 

「街で一番の美女」杯でいうと、大女将から、その娘、孫娘と繋がっている。

 

大女将。

街で一番の芸妓で、今はあづまやの大女将。辛いことも苦いことも全て飲みこんで、この温泉街の屋台骨となっている。普通にそれだけ描くならば、首領というべきなのだろう。しかし、愛嬌がある。その愛嬌はかわいらしさというものというよりも、他人に対する慈しみの心を持って接しているところから来ているように思う。

 

大女将の娘で、妙の母である絢子。

自分が好き。自分がしたいことをする。自己肯定感が高い。しかし、その行動は他人がどう思うか、他人の利益になるのか、そういう視点がひとつも無い。悪意もない。このため、他人が迷惑するし、それを娘である妙や母である大女将が指摘するが、そのフィードバックは全く届かない。自分がしたいことをできなくする人は、全員敵。必ず自分は被害者。この物語での最大の悪役を演じることになる。

 

それを反面教師として育っていく、妙。

Femme Fatale 的に思わせぶりに描かれるが、果たしてそれは本当は誰にとっての Femme Fatale なのか。

 

まだ十代の妙が

自分のついたうそのせいでもう十分崖っぷちよ
突き落としたところで お互いいいところなんてひとつも無い
逆恨みなんて面倒をさけるためなら
安い芝居ぐらいいくらでもするわ

とこんな大人びたことを普通に言わないといけないというのは、とても哀しい。

 

吉祥天女』でもそうだが、大人にならざるを得なかった十代の哀しい美女を、吉田秋生はよく描いていると思う。

ただ、『吉祥天女』とは違うのは、この物語には、そういう辛さを分かった上で、目をかけ、必要に応じて影に日向に手を差し伸べる、例えば大女将、倉さんなどがいるということ。

倉さんの

子供は静かに溺れる

というセリフは、その悔恨と共にどっしりとした厚みをこの物語に与えてくれる。

それがフィクションとしての救いだ。(かといって、過酷にならないとは言っていない)

BANANA FISH』のような派手な物語ではない。

しかし、色々な試行錯誤の末に『ラバーズ・キス』『海街Diary』そしてこの『詩歌川百景』というしっとりとした鎌倉シリーズ(?)が生まれたことを、素直に楽しみたい。

 

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