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見たものと、読んだもの

木村元彦『オシム 終わりなき闘い』 (小学館文庫) Kindle版

日本代表監督を退任後、母国ボスニア・ヘルツェゴビナの2014年ブラジルワールドカップ出場の話を中心に。

 

「正常化委員会」という、全くもって正常な状態でないことを表す委員会。

FIFAから除名されていたボスニア・ヘルツェゴビナを、復帰させる(=正常化)するための委員会。

ボスニア・ヘルツェゴビナは、ある意味人工的に作られた国家であり、この本ではムスリムと記述され、今では言い換えられてボシュニャク人(イスラム教。48%)、セルビア人(正教。37%)、クロアチア人(カトリック。14%)の3民族、3宗教がここに押し込められている。内戦の影響でいまだに憎しみ合っているというか、もし自分の押し出しが弱ければ他から付け込まれるのではないかとチキンレースをしているのに等しく、融和よりも対立によって自身を守ろうとしているように見える。

スレブレニツァの虐殺などに代表される、かつての隣人が虐殺、民族浄化などを経ており、それを全員で融和を掲げるには、まだまだ生々しい辛い記憶だ。

このため、一つの国に一つのサッカー委員会ということが守られず、3つの独立した委員会となってしまっていたため、FIFAから除名されていた。

これを正常化するためにFIFAから依頼を受けて動いたのがオシムであり、その活動の一部を垣間見ることができる。

根っこは、民族対立であるため、簡単な話ではない。インタビューで語られなかったこと、語られたが書けなかったことはたくさんあるように思う。

スポーツは、政治的なものに翻弄される。分離と対立を基調とする政治だが、スポーツは融和を求める。スポーツで試合に勝つことは、そのチームと、チームに貢献する個人の能力だけが必要だ。そこには人種や宗教も関係ない。

また、スポーツは、スポーツである以上、相手がいないと成立しない。そのため、相手チーム/選手に対するリスペクトが大事な要素となることも、スポーツが融和の象徴となり得るのだと思う。

著者の木村や、オシムは、このスポーツ言語を信奉しているのだと思う。

この本を読んでわかった気になるのは、オシムが一番嫌いそうなことだ。薄っぺらい理想的なことを感想として綴るよりも、自分ができることを自分なりにしていくという、地に足がついた行動をとっていきたい。と同時に、サラエヴォが、かつてオシムの愛した都市として、再び立ち上がることを祈る。