cafe de nimben

見たものと、読んだもの

魚豊『チ。-地球の運動について-』(第8巻/最終巻)

収まるところに収まって、きちんと終わってくれてありがとう。

 

井の中の蛙大海を知らず、されど空の青さを知る。

15世紀という、今では考えられないほど知の流通がなされていなかったカエルは、地動説という大海を知ることはできなかった。しかし、自分がいる井戸から見上げる空の美しさを、カエルたちがそれぞれに、見知り、言語化していった物語のように感じた。

 

言葉の力と絵の力、両方が組み合わさった、マンガという芸術に相応しいものだった。

 

 

以下ネタバレ感想。

 

空の美しさと引き換えにしてもいい人生

言葉の力は、キャラクターたちの問答で発揮されている。

彼らは朴訥と雄弁に、なぜ自分がこの行動をとっているのかを語る。

それと同時に、これは、「空」と「目」のマンガだった。

「目」というか、目の表情が、と言うべきか。

人生ちょろいと舐め切っていたラファウが、得など全くない地動説に魅せられて、独房の窓から見上げた月が、

生きていてスミマセンと生きる意味を見失っていたオグジーが、巻き込まれ、文章という奇蹟に魅入られ、そして交渉材料として拷問され、刑死させられる最期に見た夜空が、

信念である金儲けの匂いを活版印刷に感じて命を賭けるドゥラカが、今際の際に賭けに負けたことを悔やんでいるときに見た朝日が、

命を賭けるに値したものだったと得心した目の表情だったのかなと思う。そしてそれは、誰に受け入れられなくても、わかってもらえなくてもいいと言うものに違いない。

合理であるからこそ自然科学は生まれているのに、合理ではない美しさや信仰や信念や感動が、その合理を追求する動機になっている点が素晴らしい。

こうやって何かを得たと思って死ねるのって、幸せな死に方だろうなあ。『鉄鼠の檻』とか、ちょっと思い出す。

 

 

悪役が素晴らしい。

ノヴァクは最期までノヴァクだった。第一巻から第八巻まで、ずっと出ている。影の主役。

悪役は、自分が正義であると思って行動しているから悪役たりうるのだと思う。自分のことを悪役と思って行動しているそれは、偽悪家と言う方がいいんじゃなかろうか。異端審問官であるノヴァクは、C教の秩序こそが正義だと思っているので、地動説をとなえる異端者は秩序を乱す悪である。

最初は自信たっぷりに異端を狩っていたノヴァクだが、ヨレンタの「刑死」から25年後、ただの飲んだくれとして描かれている。

地動説排除という仕事と、娘を地動説によって失うということが、均衡が取れなくなっている。

天道説は、説明がシンプルでなく、美しくない。*1ことから、地球と言う視点を捨てて、太陽から地球を捉えるという視点の変換を行っている。地球から見て、星が惑っているのではなく、太陽から見て楕円軌道という美しいラインを描くのと矛盾がなく、シンプルに理解できる。

アントニ司教の父は、ノヴァクに地動説は異端で殺すべきものだと教えた。

アントニが、地動説がそこまで異端な話なのかと問うた時、ノヴァクは答えられなかった。地動説が異端だと言うのは、彼の信仰の根拠は薄弱だったわけだ。地動説が異端であることをアントニに覆されたならば、彼の正義は崩れる。しかも、その正義のために、彼は自らの娘を殺したに等しいのだから。

そうなれば、彼は、アントニを殺さなければならなくなる。娘を失い、そしてどうにか均衡を保っていたプライドを誤りだとアントニは明快に証明してしまったのだから。

その後に、作者は、救済を授ける。

C教としての復活に使われる肉体が損なわれる。彼はそれを恐怖していた。しかしそれでも、彼は最期の祈りで、救われたのかも、しれない。救われていて欲しい。

 

付録

nimben.hatenablog.com

 

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地動説に対する迫害はなかったという歴史について、アントニ司教が証拠を隠滅したからというのは、素晴らしいフィクション的解決だと思う。最後はP国ではなく、普通にポーランドと言っているし。

 

 

 

 

*1:火星の逆行や満金星の説明がこじつけにしかならない