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見たものと、読んだもの

和田竜『のぼうの城』とマイクロマネジメント

香港から東京まで飛行機で約4時間。飛行機のモニタの調子がよくなくて、積ん読になっていた『のぼうの城』を読了。

これって、『項羽と劉邦』とか『三国志演義』の世界を、うまく史実と絡めながら、「ハリウッド映画の爽快感!」(文庫版帯の杏による惹句)な戦国物語化したのだな、という感じ。

後者の楽しさは、今年映画化されるようなので、そちらをビジュアルで楽しんだ方が良さそう。前者についてだけ、ちょいと書かせて。

項羽と劉邦』にしても、『三国志演義』の劉備曹操にしても、「無能なひとが、能力をある人に助けてもらう」「絶大な能力があるが、能力のある人を使い切れずに失敗するか」という二項対立を色々な変奏をしながら描いていく物語として読めるとおもっているんですね。
マネジメントとして捉えると「マイクロマネジメントの是非」みたいな感じ。

一般に、書類の提出期限を分単位で決められ、てにをはにいたるまで全部確認されるマイクロマネジメントは、嫌われます。少なくとも、されるひとは嫌いだし、するほうは実はされるひと以上に嫌っていることが多い、というのが私の実感。
「こんな細かいお守りをするために、マネジャーになったわけじゃない」というのが大半じゃないでしょうか。「でも、やらないと回らないんだよ!!」と自分に言い聞かせて今日もマイクロ。

この本でのマイクロマネジメント側は、敵役、石田三成。あんまりいい描き方をされませんね、このひと。個々のエピソードは清廉潔白で、天下国家のことをおもいながらも私心ない感じなのに。名前を外して選択してもらったら、理想の上司にけっこうあげられるはずだとおもうのだけど。

こちらも清廉潔白で戦争能力屈指の智将、大谷義継を脇に置きながら、判断を間違えてしまいます。ひとの言うことを聞かず、自分の意志を押し通した結果。

主人公、成田長親は違います。だいたい、領民にも「(でく)のぼう様」といわれて登場するお殿様は、ふつういない。
彼は、マネジメントをしない。マイクロどころかマクロもしない。
おこなったのは、決定だけ。
しかし、大きな決定は、きちんと機能します。

なぜか。

決定力でも、オペレーション能力でも、ましてやマネジメント能力ではなく、「信頼」なんだな、と思います。

成田軍には、軍内だけではなく、領民を含めて、「長親のためなら」感があるけれど、三成には何もない。

コミュニケーション能力も最近よくいわれるけど、それは手段であって、ゴールは信頼なんだなとおもった「のぼうの城」なのでした。