cafe de nimben

見たものと、読んだもの

斉木久美子『かげきしょうじょ!!』白泉社(既刊11巻)

宝塚歌劇団を元ネタにした紅華歌劇団。その学校である音楽学校にヒロインが入るところから物語が始まる。青春群像ビルディングストーリー。

 

ヒロインは二人。

渡辺さらさ:身長178cm、幼少期は日舞白川流を学んでいて、助六を張るのが夢だった。男役というかオスカル希望。オスカルということはトップにならないといけないと知り、トップを目指す。天然。

奈良田愛:寮でさらさと同室。AKBをモデルにした、JPX48の元メンバー。塩対応により強制卒業。男性恐怖症。何にも興味を示さないロボだったが、さらさと友情を育むことによって変わっていく。

大きな軸として、全盛期の異なる三つの大衆芸能が絡んでいるのが面白い。江戸時代からの歌舞伎、大正時代からの歌劇団、そして現在のグループアイドル。さらさの歌舞伎からルート、奈良田のグループアイドルルート。特色を生かしながら、音楽学校で紅華を学んでいく。二人ともほとんど紅華を知らないので、読者への説明ともなる描写が自然で良い。

群像劇なので、色々な人が色々な理由で歌劇団に入り、成長していく姿を描くのだが、一人一人キャラが立っていて素晴らしい。群像劇だとサブキャラまでも平等にスポットが当たるようになって話の幹がぶれることがある。しかし、あくまでポイントはさらさに置いてあるという話の背骨の強さが素晴らしい。サブキャラは、うまくスピンオフなどで繊細に触れられていることが多く、書き割りになっていないのが愛しい。

エピソード0が2巻(完結)、現在11巻で続刊。このため全部で13巻なのだが、今やっと音楽学校の2年生(正確には本科生)になったところなので、トップになるところまで書くとすると、ものすごい分量のドラマになりそうだ。

 

今のクールからアニメもやっている。

スピンオフのエピソードを入れたり、逆に歌舞伎成分を減らしたりと、アニメならではの取捨選択を行なっていて、これはこれで見応えがある。

なんといっても、エンディングの曲が良い。

クライスラー&カンパニー出身で、実際に宝塚に楽曲提供をしている渡辺恒芳の作品。


www.youtube.com

 

これが一番多く使われるバージョンなのだが、他にも別3バージョンあり、漫画のスピンオフ、アニメのエピソード主役を張る人が歌詞を変えて歌う。

今まで、キャラソンって全く興味がなかったのだが、そのキャラの心情が歌詞に表れていて、全バージョン好きになってしまった。

 

特に好きなのは、男役志望星野薫版。ヅカ男役っぽさが素敵。


www.youtube.com

 

アニメはリアルタイムでなくても、アマゾンプライムで視聴可能なので、一度お試しあれ。

野田サトル『ゴールデンカムイ』

和風闇鍋ウエスタン。

と言うのを公式が言うようになったのがいつかはわからないのだが、これは言い得て妙だ。

最終章突入を記念して、9月17日までの限定で「となりのヤングジャンプ」で全話無料で読めるので、ぜひ読んで欲しい。

 

tonarinoyj.jp

最初は、アイヌの少女アシリパさんと、日露戦争帰りの不死身の杉元が、北海道を巡り、ご当地グルメを食べ、ヒンナヒンナと楽しみながら進んでいく日常系の話になるかと思っていたのだが、全然違った。

いや、そういう部分もあるんだが、それが「闇鍋」なところ。

闇鍋は、何が入っているのわからないと言う意味でもあるし、江戸から明治政府になった時代の闇という意味もある。

楽しい話、ヒンナな話ももちろんあるのだが、苦味も、塩味も色々と激烈に効いている。

んー、まあ、説明するだけ陳腐になってしまいそうなので、とにかく面白いから読んで、とだけ描いて終わることにする。

鶴谷香央理『メタモルフォーゼの縁側』全5巻完結/KADOKAWA

ほんわかとした、でも地に足のついたお話。

市野井雪(いちのい・ゆき)75歳が、偶然手に取ったBL漫画にハマる。ひょんなことから、書店アルバイトで同じ作品を愛する佐山うらら17歳と友達になる。

これが、どちらかの暴走によるスラップスティックになったり、都合の良い何かが起こって、みたいな話になると予想したのだが、いい意味で裏切られた。

話は、日常を、淡々と描く感じ。変に面白おかしくしない。

まず、雪さんのキャラクター造形が良い。

雪さんは75歳で、夫に先立たれて一軒家に一人暮らし。職業は書道の先生。といってもそれで食べていると言うより、遺産で食べている感じ。一人暮らしだからなんでも自分でやる。料理を作りすぎるとどんどんお裾分けするし、その分お返しもいただく。根っからの善人で近所の人からも愛されている。

それだけだと田舎の保守的なテンプレート的なおばあちゃんのだが、新し物好き。昔からあるものを継承することにはあまり興味なく、世の中どんどん変わるのだからと、新しいものにワクワクする感じがとても可愛らしい。新しい綺麗な石を見つけて目をキラキラさせていつまでもみている小学生のような感じすらする。

 

うらら17歳はモッサい。

BLは隠れた趣味で、人と語り合いたいのだが、人には絶対に知られたくないと言う矛盾を抱えて、陰にこもってしまっている。

主人公をどちらとするかでこの物語の見方は変わると思うのだが、私は、そういううららが雪とあって変わっていく物語(ビルディングロマン)、として読んだ。

 

 

世の中を忖度した正解を求めるのではなく、自分の中にあるけれどメンタルブロックで塞いでいる道を外して、それにトライしてみると言う日常的にある尊さを感じた。

ヒロイックファンタジーもいいのだが、こういう小さい尊い物語って、なんだか心が現れる気がするよ。

 

ソフィ・シュイム(原作)泉光(コミカライズ)『図書館の大魔術師』(第5巻)

これは、読めとしか言いようがない名作。まだ5巻だから、追いつくのもかんたん。

これ、長い作品になると思うのだけど、完結はいつくらいになるんだろうなあ。最後まで追っていきたい。

良い点を3つにまとめると

世界構築

難しいジェンダー問題や民族問題をファンタシーに包むことによって描くという難度の高い世界構築をしている建築物としての美しさ。ここまで構造化がきっちりとなされていると、この世界で二次創作する人はかなり楽だろうねぇ、と言うレベル。

愛すべきキャラクターたち

そして、それぞれの理由で動く説得力のある愛すべきキャラクターたち。

ステレオタイプの人がほとんどいない。それだけの書き分けをしている。いい人だけではなく、悪い人もずるい人もいる。それぞれの事情が丁寧に、でも冗長にならずに提示されている。

そうなると悪い意味で群像劇っぽくなり、メインのキャラは誰と言うことになりかねないのだが、圧倒的な主人公力を持つシオ=フミス。バカで元気、でもメンタルブロックもそれなりにあり、それをどう克服していくのか。仲間と、頑張って、克服/解決していくという、努力友情勝利と言う王道が背骨にある。

映画を意識した作画の美しさ。

紙の本だとどうしても見開きは、真ん中が白く余白になってしまう。デジタルだと一枚の絵として見られる。しかも連続見開きにすることで、前後などを見せるのが、極めて映画的で力強い。映像演出力がとても高い。

 

第5巻では4巻で隠されていた謎が一つ明かされる。ただ、それの奥が何かありそうだがそこはまだ見せてくれない。すでに次巻が待ち遠しい。

 

世界観に押し切られたい

アニメやコミックを摂取するのが好きだ。

その理由が最近わかってきた。

物語のリアリティラインと、私の脳内のリアリティラインのすり合わせがうまくいくからなのだ。

文字情報だけのリアリティライン

例えば小説だと、ほぼ完全に読者の脳の中でリアリティラインを設定できる。小説を読んだ人の中で、映像として浮かぶタイプの人であれば、そのラインを、CGなしの実写、CGありの実写、実写的アニメーション、デフォルメマシマシのアニメーションなどと、自分に合ったものを選択することができる。(もちろん自分脳内世界がそのうちの一つだけの人もいるし、もっと幅広い人もいる)

それは、小説が文字情報だけなので、読者が広い選択肢を持つことを許容するからだ。

挿絵や表紙の写真/絵を頼りにして映像化することもできる。まるっきり無視をして、文体やセリフを頼りに、読者は、「この主演俳優は、若い時の三船敏郎がいいな」とか「日本語作品だけど、スカーレット・ヨハンソンにやってもらいたい」とか自分なりのビジュアルを作り上げることもできる。自分の知識や想像力が及ばないところは、文字として読み流して、絵にしないことも可能だ。

しかし、映像作品は違う。

映像作品のリアリティライン

見せられたら、映像に対する視聴者の自由度はゼロ。それは作品としてのビジュアルが100%という配合になる。小説読者が映像化しなかったところも、表示される。

そこに、ビジュアルの好みの問題と、脚本に対するリアリティラインの問題が生じる。

ビジュアルの好みの問題は、例えば、「美人」と脚本に描かれたものが、視聴者の「美人」の好みに合わない場合、というやつ。これについては本項考察から外すけど。

脚本に対するリアリティラインというのは、例えば、「ご都合主義」をどこまで許容できるか、というところだ。

私は、御伽噺は、マンガ日本昔ばなしのようなアニメが好きだ。

 

あの映像世界であれば、竜の背中に子供が乗って空を飛んでいようが、猿が日本語を話して、柿を木の上から投げてこようが、桃から赤ん坊が生まれてこようが、丸っと許容できる。

しかしこれが、普通に現代実写作品として描かれると、勘弁してください、と思う。

脚本が求める世界観の、ビジュアル面での作り込み

映像がリアルなんだから、重力加速度は9.8m/s2だし、外国人はまれにしか日本語を話さない、というリアリティラインを踏み越えるとちょっと辛いと私は感じる。

もちろん、例えばうまいことワイヤーアクションとか使って、「ちょっと盛っている」か「そういう世界観なんだと映像の力で押し切る」をしてもらえると、私の許容度は上がる。そういう意味で『少林サッカー』に文句はつけない。

あるいは、そういうのをぶっちぎる、主演俳優のパワーで押し切られるのも好きだ。

森下洋子が演じるロミオとジュリエット。50歳を超えるバレエダンサーが14歳を演じて可憐だと思うとか。


www.youtube.com

天海祐希が舞台に立つと、リアリティラインなんてコマけーこと言うんじゃないよ的な。


www.youtube.com

 

これは構わない。私の中で、そういう世界観が押し切られるだけなので。

世界観がツギハギでノイズになっているようなものが、嫌いなんだと思う。

作品世界にのめり込めないから。

世界観で、うまく騙されたい。