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見たものと、読んだもの

お伊勢参り2019/ 外宮へ

旧暦としても年度が改まったので、お伊勢さんへ。

いつもはバスツアーで0泊1日の弾丸ツアーなのだが、今回はゆったり昼に電車移動。

 

移動

電車

名古屋まで新幹線。名古屋で近鉄特急。「しまかぜ」までデラックスではないが、「伊勢志摩ライナー」にて。サロンカー、座席ゆったりで快適でした。

近鉄伊勢市駅で降りる。外宮方面へは、長い陸橋を渡って、JR伊勢市駅に回る。

近鉄の方が速いのと、座席指定ができるという意味で、電車移動は楽。唯一贅沢気分になれないのは、この移動かな。それ以外は贅沢できるのでオススメ。

JRで、名古屋から「快速みえ」を利用する良さは、降りるときの楽さ、運賃の安さですかね。カジュアルに行くならこっちかも。 

駅から外宮は徒歩推奨

伊勢市駅から参道を通って、外宮へ。参道沿いはお店が色々並んでいるのが楽しい。石畳も凸凹せずに敷き詰められていて、バリアフリー。これだと車椅子の方も安心ですね。5分ほどで外宮につきます。よっぽど荷物が多くなければ、バスやタクシーよりも徒歩推奨。

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ランチはうなぎにしてみた

外宮に入る前に、うなぎが食べたくて、「喜多や」へ。

unagi-kitaya.co.jp

こじんまりした店構え。一軒家のお店で、一階二階とも座席あり。

うなぎ丼、うな重と蒲焼ご飯という三種類というのが基本メニュー。

共通点は価格。基本的にうなぎの量で価格が決まります。ご飯500円+うなぎ一切れ@500円(税抜)目安。

相違点は、ご飯と、うなぎの載せ方。

  • うなぎ丼(伊勢まぶし)は、お米にタレがまぶしてあるというか、タレご飯に、うなぎが載る。
  • うな重は、白飯の上にうなぎが載る。タレ別途。
  • 蒲焼ご飯は、白飯とうなぎが別盛り。

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伊勢まぶし(ご飯がたれで茶色い)

せっかくなので伊勢まぶしでいただきました。しょっぱいのが苦手なら、うな重にした方がいいかも。そう、江戸前のほど、タレは甘くなかった。

うなぎは、中はふんわり、外は名古屋風とまではいかないけど、カリっと。

ビールが欲しくなったけど、これから参拝なので我慢。

その代わり、うざくで口の中はさっぱり。

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肝焼きとうざく

しかし食べ過ぎw

 

しっとり雨の外宮

傘をさした方がいいか悪いか、というくらい絶妙な雨加減。

原生林がもつこの空気感は、外宮内宮問わず、唯一無二で心洗われる。

手水舎、火除橋、正宮(豊受大神の和御霊)、亀石、多賀宮(荒御魂)、風宮、土宮の順でお参り。せんぐう館がまだ復活していなかったのは残念。

 

鳥居も、式年遷宮から6年経つとだいぶ風格が。

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雨のおかげで、木々などにある苔が生き生きしている。みてて嬉しい。

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雨にけぶる、外宮正宮。

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お約束の、風宮の側のハートの石垣

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天気予報が雨だったので失敗したかと思いきや、雨だからこそ堪能できてよかったです。

 

 

『ヴィクトリア女王 最期の秘密 / VICTORIA AND ABDUL』17英米

1887年から1901年までヴィクトリア女王に仕えたインド人のアブドゥルがヴィクトリア女王の孤独を癒す話。

最期の秘密というよりも、原題の「ヴィクトリア(女王)とアブドゥル」の方が、中身はよく表していると思う。冒頭に「ほぼ史実に基づく」というのが楽しい。(based on real events... mostly)

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女王の孤独とそれが癒される感じに着目して、いい感じの小品として楽しく鑑賞できました。

 

20年ぶり二度目のヴィクトリア女王を演ずるジュディ・デンチは圧巻。尊大だが孤独で、チャーミングで素晴らしい演技でした。

私が知ったのは『恋に落ちたシェイクスピア』でのエリザベス女王でしたが、最近は007シリーズのMかしら。

でも、女王の側近に自分がいたすると、この厚遇はヤバイ、阻止に動きたいと思うのも当然で、なかなか現実とファンタシーは区別が難しいです。

映画冒頭の在位50周年記念式典の時は、日本からは小松宮様が出席。映画では描かれない60周年記念式典の時は有栖川宮様と伊藤博文が出席。

 

ちなみにヴィクトリア女王から現女王エリザベス2世までの系譜

ヴィクトリア女王
(在位63年:1837/6/20-1901/1/22:在位期間は現女王に次いで歴代2位。18歳で即位。ちなみに日本の元号でいうと「天保の改革」の天保から明治まで) 

→ バーディとして出てくるのエドワード7世
(在位9年:1901/1/22-1910/5/6:日英同盟の時の英国王。ヴィクトリア女王の長男。明治)

ジョージ5世
(在位25年:1910/5/6-1936/1/20:『英国王のスピーチ』の父王。エドワード7世の次男。*1明治大正昭和)

エドワード8世
(在位1年未満:1936/1/20-12/11:王冠をかけた恋。シンプソン夫人と結婚するために退位し、弟に王位を譲る)

ジョージ6世
(在位25年:1936/12/11-1952/2/6:『英国王のスピーチ第二次世界大戦の時の英国王)

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エリザベス2世(在位中:1952/2/6ー。在位期間歴代一位)

*1:長男は1892年に死去している

2019年の美術展、なに見よう(和系編)

見たい順に。東寺が頭二つくらい抜けて、見たい見たい。

 

 

『国宝 東寺 空海と仏教曼荼羅』@東京国立博物館 (03/26-06/02)

和系だと、今年はこれが一番行きたい展覧会。

東寺は、学生の頃、帰省の際に必ず寄っていたほどなので、とても好きなのです。

立体曼荼羅は国宝11体、360度見られるように展示されるとなれば、これは東寺に行っても見ることができない展示!

 

toji2019.jp

www.toji.or.jp


会場:東京国立博物館平成館
休室:月曜日(例外で開館するのは4/1,4/29,5/6)、例外休みは5/7(火)
開室:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
夜間開室:金曜日土曜日は~21:00

 

『奇想の系譜 江戸絵画ミラクルワールド』@東京都美術館(02/09-04/07)

好みの日本画大集合。

白隠国芳などなど、キラキラしたのが同時に見れるの最高じゃん。

kisou2019.jp

www.tobikan.jp

岩佐又兵衛狩野山雪伊藤若冲、曽我蕭白長沢芦雪歌川国芳に、白隠慧鶴、鈴木其一の8作家揃い踏みとなる。若冲国芳、其一は個別の展覧会行ったことあるが、他はないので、楽しみ。

作品リスト:

https://kisou2019.jp/img/hi/kisou_list_jp.pdf

を見ると、作家ごとに並べる感じみたいね。

LBF:若冲蕭白→1F:芦雪→又兵衛→山雪→2F:慧鶴→其一→国芳、の順。

面積的には若冲が一番広いかも。

 

会場:東京都美術館
休室:月曜日(例外は2/11と4/1)、2月12日(火)
開室:9:30~17:30(入室は閉室の30分前まで)
夜間開室:金曜日、3月23日(土)、30日(土)、4月6日(土)は~20:00

 

『新・北斎展 HOKUSAI UPDATED』@森アーツセンターギャラリー (01/17-03/24)

hokusai2019.jp

 

キービジュアルにもなっている《弘法大師修法図》が強い。

北斎って、メンタルが弱い時に見ると負けて疲れるからなあ。心が強い時に見に行きたい。

森アーツセンターギャラリーは、20時までやっているというのがポイント高い。トーハクの金土21時というのもいいんだけど、見る立場だけでいうと平日遅くまでやってもらえると嬉しい。六本木で20時は宵の口だしね。(上野の21時はちょっと怖い)

 

会場:森アーツセンターギャラリー
期間:2019年1月17日から3月24日まで
休館:1月29日(火)、2月19日(火)、2月20日(水)、3月5日(火)
時間:10:00~20:00(最終入館 19:30)/ ※火曜日のみ17:00まで(最終入館 16:30)

藤田美術館展』(04/13-06/09) 

奈良国立博物館で催される。サントリー美術館で見た曜変天目や、奈良の古刹から海外流出を防いだ仏像などが展示。交脚弥勒菩薩坐像見たい。

www.narahaku.go.jp

www.suntory.co.jp

nimben.hatenablog.com

 

曜変天目は、現存は3椀だが、今年は全部展示される。

MIHO MUSEUM:3月21日~5月19日「大徳寺龍光院 国宝曜変天目と破草鞋」
滋賀県甲賀市。10-17時(入館は16時まで)月曜お休み。


静嘉堂文庫美術館:4月13日~6月2日「日本刀の華 備前刀」

東京都世田谷区。10時-16:30時(入館は16時まで)月曜お休み

なぜ、全部春なのかw

 

『ローグワン / Rogue One』2016 US

スターウォーズの数字なし外伝的映画。時系列的にはep3 と 4 の間になる。

この映画は、スターウォーズだけど、未来の神話という数字ありエピソードとは異なり、負け犬の落とし前を描写するハードボイルド作品だ。物悲しい短調の劇伴が多いのは、多分それを意図してのことだろう。

 

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I am one with the force. The force is with me.

個人的に一番素敵なキャラだと思うのは、チアルート / Chirrut Îmweである。

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盲目の、僧兵っぽい人。本人はフォース*1を信じてはいるが、他の誰も彼がフォースが使えるとは思っていない、そんなイタイ人。武術も、フォースが使えれば使うはずのライトセイバーじゃなくって、棒術だし。演じるは、『ワンス・アポン・ア・タイム・イン・チャイナ』『イップ・マン』でも有名な、香港アクション映画界の俳優/アクション監督、ドニー・イェン / 甄子丹 / Donnie Yen. かっこよいのも理の当然である。

彼が唱えるマントラ / mantra である "I am one with the force. The force is with me"  / 『私にはフォースがついている。フォースは私と共にある」が素敵。 *2

死をかけて戦うシーンがある。その時、彼はできると信じるために、"I am one with the force. The force is with me" を何度も何度も何度も繰り返し唱える。私にはほとんど震えているように見える。本当に信じているのならば、繰り返しいうこともない。自信満々に唯やればいい。ジェダイであれば、そんなことはいう必要すらない。しかし、ジェダイならぬただの人であるチアルートは、おそらく「できっこない」という心の声を打ち消すために、それを唱え続けるのだ。

ただの人間が、一瞬だけ超人になる瞬間が、人生にはある。

横糸は、ハードボイルドなキャラたち

しょうがなかったの一言で、本心を黙らせてしまっている、昔やった後ろ暗いことって、誰にでもあると思う。汚れた手をみたとき、あるいは悪夢の中で、たまにそれが思い返される。後悔と言い訳と忘却。自分の本心に背いてきたことの落とし前をつけるために立ち上がるという姿は、負け犬が唯一度だけ真人間に戻るための戦いを挑むハードボイルドだと思う。

アーソ父がそうだ。キャシアンがそうだ。彼らと一緒に立ち上がる名もなきキャラたちがそうだ。

「自分が自分であることを取り戻せるなら、死んでもいい」。日常生活ならいい。しかし、帝国軍相手に行うのは、文字通り自殺行為だ。

でも、だからこそ、映画でくらいは、心の澱を晴らす美しい行動をとるキャラクターに思いを託せる。これがファンタジーとしてのスターウォーズサガの強さなんだろうな、と思う。

彼らは、スターウォーズサガのリアリティラインを崩してまでも生き延びることはない。数字なしエピソードのキャラである宿命だ。それは否応なく悲劇性を帯びる。

それがこの映画の強い横糸だ。ん、じゃ、縦糸は?

縦糸は、ep3と4をつなぐ物語

縦糸は、ep4 でデススターがなんでXウイングに一撃でやられるんだ、あの大きさのをあんなチビ戦闘機が一発でなんて、簡単にやられすぎでしょう、というものの回収。なぜか弱点が作られることと、その弱点が漏れること、この二つがなければ、ep4は起こりようがなかった。

縦糸も横糸も非常に強い物語駆動力を持った糸で織られた映画になっている。

なので、安心してこの映画世界に没入していける。

昔は、自分が超人になれると思っていたので、強いキャラクターに感情移入したものだが。こういう凡人キャラの方に感情を移入するようになったとは、ああ歳とったな。

*1:しかし、いまだにフォースが何者かわからない。ほとんどの場合、中立の武「力」であり、ダークサイドに堕ちるとさらにパワーアップするなんて、じゃあなぜこれが信仰されるのか

*2:スペイン語だと直訳なんすな。 "Soy uno con la Fuerza, y la Fuerza está conmigo"

『アリスのままで / Still Alice』2014 US

I am not suffering. I am strugging. / 苦しんでいるんじゃないの。もがいているの。

50歳という若さで、アルツハイマー病にかかった、コロンビア大学*1言語学者が自分を失うまでの短い時間を淡々と描く。

主演女優のジュリアン・ムーア / Julianne Mooreは、この作品でアカデミー主演女優賞を獲得。知性溢れる大学教授から、娘の顔すら曖昧になるときの顔の表情の一つ一つが、オスカーにふさわしい凄まじい演技だった。↓ いつもジョギングしている道で迷ってしまったときの顔。

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物語の構造

最初のシーン、バースデーパーティーで夫から "To the most beautiful and the most intelligent woman I have known in my entire life / 私の全人生で知っている女性の中で、最も美しく聡明な女性に乾杯" と言われるところから始まり、はみ出しものだった次女から詩を読んでもらって感想をたどたどしく述べるところで終わる。

それをみて嗤う映画ではない。その状況になっても自分が自分である尊厳を持とうとして struggle する一人の人間の話だ。そして最期までアリスは、映画のタイトルの通り「アリスのまま」だった。 

もどかしさを映像で

映像は明るくキレイで、おどろおどろしいところは全くなく、いい人ばかりで「消毒」されている感じすらする。映像技術的にはぼかしが効果的に使われている。文字や映像がぼやけて見えないもどかしさ、これをもっと長めにやって怒りに近いところまで見せる。照明も構図も含めて美しい。

生々しく描かれていたら、私は最後まで見ることはできなかっただろう。

20年前以上に亡くなった私の祖母は、最期は私のことを私とわからなかった。認知症。親愛のこもったその笑顔のなかにほんのわずかの引っ掛かりを感じた。よそよそしさ。笑顔は、孫に向けたものではなく、親切な他人に向けたものだった。私がもうわからない。それに気がついた時、私の心の中で何かが永久に崩れ去った気がした。それを思い出した。

それぞれに突きつけられる現実の手厳しさ

アリスは、自分が頼りにして生きてきた知性のほぼすべてを失う。記憶を失い、単語を失い、方向感覚を失い、職を失い、人からの尊厳も失う。「ガンならよかった」と夫に語るシーンは、「地獄です」とスピーチするのは、多くの認知症患者の本音なのだろう。自分が失いつつあることだけは自覚しながら生きていくのならば。そうなった時に自分が耐えられるか、自信がない。自殺することすら叶わないなんて!

は、激務であるはずにも関わらず、甲斐甲斐しく介護をしている。大出世となるヘッドハントの話が出る。千載一遇。隣の州に引っ越しが必要だが、自分の仕事の野望を叶え、かつ、アリスに最高の介護環境を用意できる。(かつ、莫大になるであろう介護費用も賄える算段がつく)

が、アリスは知らない土地にいくことを拒む。家から徒歩圏内にあり、かつて教鞭をとっていたコロンビア大学の記憶すら失っているアリスが、まだ過去と繋がりがあると思えるのは、長年住んできたこの家だから。日に日に失われていく過去との繋がりが、日に日に失われるからこそ、アリスは自分をアリスと信じられるよすがになっているから。

選択肢は二つになってしまう。ヘッドハントを取ればアリスと離れることになり、アリスを取れば自分の野望を諦めることになる。究極の二択。

割り切ってアリスを残して引っ越しを決意したはずが、次女に、「お前は俺よりもいい人間だ / You are a better man than I am」と言ってハグしながら涙を流す。どちらを選んだとしても、おそらく死ぬまで悔やむことになる。

次女は、エリート家系にも関わらず大学よりも演劇を選ぶ。若年性アルツハイマー遺伝子検査は拒否。最後は、恋人とも別れ、西海岸から引っ越してきて、実家に移り、母の介護を担う。ブロードウェイでやることはいくらでもあるからと説明しつつ。エリート学業ではなく演劇が、アリスがこの世の人々との絆の最後の糸になるのは、皮肉なことだ。(エリート批判という感じではないけれど)

主に描かれるのはこの四人。あまり描かれないが長男長女もいる。

長女は、検査により陽性であることを知る。つまり自分も母の歳くらいに母が今戦っている病と戦うことになることを眼前に突きつけられる。生まれる双子には、人工授精によってその因子を切るという意志を感じる。あまり取り乱す姿は見せず、毅然と論理的に考える。時に、冷たく感じるほどに。

長男は検査をして陰性であることがわかる。あとは認知症会議に、父の名代として連れ添うくらいか。あまり描かれない。まだ学生だからしょうがないかも。

「消毒された」と書いた。この家庭がここまでのケアを買えなかったら? シモ系の話はほとんど出てこないし、出ても表現もマイルドだが、そこをリアリティを持って描いていたら? 徘徊は? 最期まで次女だけで介護するのだったら? 描かれていないが、想像したくない現実は、もうそこら中にありふれているのだ。

認知症介護の会議でのスピーチ

この記事の本文冒頭に引用したセリフは、アリスが現役患者として、アルツハイマー病についてスピーチをするときの一節。短いスピーチなのだが、自分で書くのに三日「も」かかっている。

Skypeを通じて、次女リディアにスピーチの練習をするが、この時のものは科学的なもので、別に医者から聞くからいいよ、というくらいの内容だった。リディアからもっと個人的なものにすればと言われて「もう全部この中に入っているわよ!」と激昂したが、本番では書き換えていた。少なくとも「アミロイド」や「セクレターゼ阻害剤」などの専門用語は削除されている。そして現役の患者がどう感じているかという、アリスにしか話せない内容になっている。そこが、このスピーチが胸に残るところだ。

この時点でアリスはすでに原稿を頭で覚えることはできない。原稿を読みながらであっても、どこまで読んだかもわからなくなる。同じところを何度も繰り返し読まないようにするため、蛍光ペンでどこまで話したかを線を引きながら話す。こんな状態の私だからもうダメなんですと自分を責めることもなく、背筋を伸ばし、ジョークを言い、取り繕わない。これが、自己尊厳か、という凛とした姿。

このスピーチのところだけでも、何度でも繰り返し見たい内容だ。

自分が社会から見て奇妙に見られてしまうかもしれないが、病気の状態がどうかは別の問題として、自分が自分であろうとすることを諦めない。過去との繋がりは、記憶の剥落によってだんだんなくなっていく。未来はわからない。だから、今、この瞬間を生きると宣言する。

Please do not think that I am suffering. I am not suffering. I am struggling. Struggling to be a part of things. Stay connected to who I once was. So living in the moment I tell myself. It's really all I can do. Live in the moment. And not beat myself up too much. And not beat myself up too much for mastering "the art of losing" 

[拙訳] 私が苦しんでいるとは思わないでください。私は苦しんでいるのではなく、もがいているのです。何かの一部であり続けたいと、かつての自分との繋がりを持ち続けたいともがいています。そう、この瞬間を生きるのだ、と自分の言い聞かせます。本当にこれしかできないのです。今この瞬間を生きる。そして、自分を責めすぎない。そして、「失う技術」をマスターしたからと言って自分を責めすぎない。*2

このスピーチの内容は原作小説からもだいぶ変えられている。映画の方が単語も難しくなく、わかりやすい。ジュリアン・ムーアがしっくりこないと言って3回ほど書き直してもらったらしい。書き直したのは監督・脚本のリチャード・グラツァー/Richard Glatzer。撮影時、自身はALSが進行し、口で話すことができない状態。iPadを右足の親指で操作して脚本を書いたり演出をしていたらしい。リチャードの実体験も含めてこういう書き方になったのかもしれない。*3

認知ができなくなった後に残るものは

色々認知ができなくなった後で残るものは、自分の何なのだろうか? そこに知性も言語も過去も方向感覚もわからなくなった時に最後に残るものは? それが「尊厳」だとすれば、それはどのようにしたら得られるものなのか。

私の祖母は、最期まで穏やかで、暴言などを吐くこともなく、介護の職員さんたちと接することができていたらしい。

そういう例があるということだけを胸に、いずれ来る老後に備えるしかない。

体は、金さえあればサイボーグにできる時代が来るかもしれないが、脳は、なんとかなる日が来るんだろうか。

自分はどう老化して生きて死を迎えるのか、喉元に剣を突き立てられたような気がした。

 

次女リディアが最後に朗読する詩 : Night Flight to San Francisco

舞台やテレビドラマになっている "Angels in America" の第二部ペレストロイカ /Perestroika に出てくるもののようです。作者は、トニー・クシュナー /Tony Kushner。詩の原文はこちら。

www.goodreads.com

"Night flight to San Francisco" から始まり、極めて幻想的写実性を持って表現されている詩。飢饉、戦争、疫病などで非業の死を遂げた人々の魂が、成層圏の空の高みで修復されるのが見えるんだと言った後のこのセリフ。

Nothing’s lost forever. In this world, there’s a kind of painful progress. Longing for what we’ve left behind, and dreaming ahead. At least I think that’s so.

[拙訳] 永遠に失われてしまうものなど、何もないのだ。この世には、痛みを伴う進歩というものがある。過去に置き去りにしてきたものを切望したり、そして未来に夢見たり。少なくとも、そういうものだと私は思う。*4 

最後のここの部分が言いたかったのかな。スピーチの中でアリスが語る、今を生きる / Living in the moment と繋がっていると思う。アリスが記憶を含め色んなものを失っても、それはこの世にアリスがいなかった、いなくてもよかった、ということではない。生きていた意味はそこにあり、どんなになっても、アリスは「アリスのままで」あるのだ。

この詩の感想を次女に問われてアリスは "Love" というのだが、私は "Hope" と感じた。

 

 

"Angels in Ameria" は、去年2018年のトニー賞リバイバル演劇部門受賞ですね。

www.tonyawards.com

この詩をわざわざ最後に持ってきてあるのだから、元ネタを知っているともっと深くこの映画を理解できたのかもしれない。どういう文脈でこの詩が語られるんだろうか。寡聞にして知らなくて残念。

なお作者のトニー・クシュナーは、舞台の代表作がこの『エンジェルズ・イン・アメリカ』で、映画の脚本だと、スピルバーグ作品の『ミュンヘン』がある。私は未見。

www.youtube.com

 

 

参考: Twitterマンガ。患者の視点で。

togetter.com

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*1:原作小説ではハーバード大学らしい。撮影の都合かな?

*2:"And not beat myself up too much" が繰り返されるのは、おそらくは、ここで、本当にこの文章を読んだのかどうか曖昧になって繰り返したという演技と私は感じた

*3:なお、リチャードはジュリアンがオスカーを受賞した直後に亡くなっている。享年63。正確にはオスカーが2015年2月22日、リチャードがなくなったのが同年3月10日。

*4:Nothing's lost forever って、Nothing lasts forever. というよく使われる表現のもじりかな。「永遠に続くものなど何もない」→「永遠に失われるものなど何もない」正反対の意味を、ほとんど同じ音で表すのはすごい。