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本の読みやすさという、胡散臭い言葉

本の読みやすさには二通りある。

本の内容を受け取る読者側の責の話と、本自体の可読性という作者側の責の話。
多くの場合、前者のつもりで後者の話をしている場合が多い気がする。
 

読みづらさの原因

読者側は、文章が読みにくいというときには気をつけないといけないのは、その原因をちょっとだけ振り返ってみることだとおもう。
  1. 文体のリズムが合わない
  2. そもそもトピックに興味がない自分の知識が足りない
  3. 自分の前提知識が足りない
  4. 自分の論理的解釈能力が足りない
前者の二つが当てはまるなら、どんな名著といわれるものであっても、読むのをやめた方がいいとおもう。時間の無駄どころか、苦痛にしかならない。
 
後者の二つに当てはまるなら、自分が頑張る必要がある。もうちょっと軽めの本を選んで、前提知識やその世界で「あたりまえ」といわれる論理を頭にいれておくと、わかりやすくなる。こういうものを読み終えた時の、世界が広がる感じが好きだ。

逆に、「本が読みやすい」というとき

自分の中にない論理展開や知識に出会っておらず、頭の中の知識確認的な本を読んでいると「読みやすい」と感じてしまう場合も当然ある。それに気がつかずに「読みやすい」といっている場合は、いつのまにかチャレンジ的な読書をしていない可能性がある。自分の読書傾向への、ちょっとしたアラートにつかえる。

なんにせよ、過剰にシンプルな言葉は、バーナム効果でとっても自分に当てはまっているように感じてしまう。わかったようなことをいって、実は理解していないなんてことがないか、たまに自分をうたがうのも乙なもの。

なんかうまくいいたいことをまとめられていない気がするが、えいっ。