『四月は君の嘘』(Netflix)

Netflixにあったので、前にちょっと辛くて見るのをやめてしまったところから一気に見終えた。ストーリーラインは思った通りだったが、それでもしかし、良い作品だった。

 

 

音楽ものの場合、漫画だとというしても頭の中に奏でられる音楽が作者の意図よりもきちんと聞こえてこない。CDなどで名演奏家のものを聞いても、それはもちろん違うものになる。物語のなかでそうあるべき演奏をつけてくれたのは、とてもうれしかった。猛々しい、がさつな、悲しい、走った、そういう演奏を、劇伴としてあててくれるのは、とても丁寧だった。

丁寧といえば、主人公がだんだん健康をなくしていく姿。髪のハリが落ちていき、唇の色がピンクから青くなっていくさまは、一気見でないとわからなかったところだ。

ストーリーは、あるいみ陳腐。ストーリー自体の新規性を味わうものではなく、そこのなかのキャラクターの心によりそい、中学生だった自分として感情移入をしていくことを楽しむ(あるいは苦しむ)ものだろう。

「好き」だというこころは、大人になってみれば、いろんな意味があることがわかる。

すべてが恋愛的な好きに回収されることはない。ただ、中学生という幼年期がおわって大人へと一歩踏み出すときは、シンプルに感じすぎてすべてを恋愛に落とし込んでしまうという気持ちはわかる。

ぎゃくに、だからこその中学生設定だなとおもう。

小学生では早すぎる。高校生だと大人すぎる。恋に恋するように、大人になるということに恋している、そういう状態ってあるとおもうから。(なので、実写版映画が2016年9月に公開予定だが、高校生くらいのひとが演じるので、食指が動かない)

しかしこういう話は、どうしてもセカイ系の話に通じてしまうね。ま、自分が死ねば、自分の世界はなくなるので、ある意味当然だが。公生の心の闇の「補完計画」というようにも見えてしまう。だれでも通る道かもしれない。

大人になると、死んでしまった相手と、生きているけれども疎遠になってしまった相手は等価で、自分のこころのなかに住んでいるものだと、個人的に思うようになった。

それは彼らと接していた過去の体験ではあるけれど、思い出すたび、ちょっとだけ今に近いところに、彼らはいる。もし孤独を感じる瞬間があっても、それはまた思い出せばいいのかもしれない。孤独はそう感じれば、多くの人のなかにいても感じるし、感じなければ世界に一人きりでも感じることはない。

とらわれず、次の一歩が踏み出せますように。

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