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見たものと、読んだもの

夢枕獏・伊藤勢『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子 』(第3巻)

少しずつ、少しずつ、大きな幹が見え始めてきたかも。

今までほぼバラバラだったエピソードが線でつながり始めた。さらに後で辻褄が合ってくるのかもしれない。(楽しみのために、夢枕獏の原作は読まないでおこう)

 

表紙は、平将門。きちんと異形として左の目に、瞳が二つある。

とは言って、この3巻では悪役、平将門登場がメイン。

見た瞬間、あの俵藤太より強そうと言う絵の説得力が素敵。

 

絵柄が違うので、全然気にしていなかったのだが、岡野玲子陰陽師』と同じ原作シリーズをコミカライズしているのだな。まるっきり違うから、気付くのが遅れた。

作家性の違いで、元の夢枕獏による大ヒットコンビ、安倍晴明源博雅の描き方が、こうも変わると言うのは面白い。

 

 

 

平将門という幹が見え始めた。作中でも説明はあるが、おさらい。

 

平将門の乱の年表

889年、高望王(将門の祖父。高望王の曾祖父が桓武天皇)が平姓を賜る。

884年、小野好古(野大弍)誕生。

891年、藤原秀郷生誕(俵藤太。藤原北家魚名流)。浄蔵法師生誕。

898年、高望が上総介として、治安維持を期待されて、家族とともに東下。(東下は889年説あり)そのまま土着化。常陸を中心に武家平氏の基盤を作る。

903年あたり、将門誕生。

909年、藤原忠平藤原北家本流。忠平は道長の曽祖父)の子、師輔生誕。同年、浄蔵法師が、藤原時平(忠平の兄)を祟る菅原道真を払おうとして失敗。

916年あたり、藤原秀郷、一族とともに罪を得て配流。

917年、貞盛誕生(高望の長男の国香の嫡男=将門のいとこ。常平太)。賀茂保憲も誕生。

918年ごろ、将門が藤原忠平と主従関係に。博雅、誕生。

921年、安倍晴明、誕生

923年、良将(将門の父)が鎮守府将軍に任じられる(930年まで)

930年ごろ?、将門が京を離れ、坂東へ帰る。この頃、父・良将死去。

931年ごろから、将門が伯父の良兼らと不和に?

935年、良兼らの義理の父である源護とその3名の息子と国香(伯父)を、将門が討つ。浄蔵法師、将門を呪詛開始(将門の乱平定まで)

936年、平将門VS 良兼、良正(叔父)、貞盛の連合軍と抗争。源護による将門謀反の申し立て。平将門らが朝廷によびだされ、藤原忠平太政大臣)に吟味される。

937年、将門、朱雀天皇元服恩赦で許され、東下。

938年、興世王が武蔵権守として、源経基(六孫王。酒呑童子を討つ、坂田金時渡辺綱などの四天王を統べる頼光は経基の孫)が武蔵介として武蔵に東下。この二人が、武蔵武芝と抗争。武芝は将門に調停を求め、興世王とは和解。源経基とは和解失敗。

939年、源経基が朝廷に、将門謀反と申し立て。興世王・将門・武芝は事実無根として申し開き、朝廷に受け入れられる。(藤原忠平の吟味2回目)

貞盛の後ろ盾である良兼が病死し、貞盛軍が弱ったところで、平将門が新皇を称す。(平将門の乱

940年、

(作中では、東下中の藤原秀郷が、勢多の大橋を越え、三上山でムカデを討つ)

母の兄弟である藤原秀郷と合流した平貞盛が、将門に敵対する。

興世王戦死、のち、流れ矢によって将門戦死(2/14)にて、乱平定。
藤原秀郷、功により従四位下鎮守府将軍に任じられる。平貞盛従五位下に。

同年、藤原純友の乱(西日本の反乱)を、源経基も向かうが、その到着前に、小野好古が鎮圧(941年)。

947年、藤原忠平、没

960年、藤原師輔、病没。ここが天徳四年、『瀧夜叉姫 陰陽師絵草子』(第3巻)の舞台となる年

 

将門の乱の立ち位置

平将門の乱単体で見ると、田舎である坂東での親戚同士(京から降ってきた源平の土着化と、婚姻関係を結んでいる元から坂東にいた土豪たち)の内輪揉めのように見えなくもない。別に将門が京に上って当時の朝廷を打ち倒すというようには見えない。中央からの圧政に苦しんでいる坂東を独立させると言う大義名分と八幡大菩薩の神託はあるが、その後の坂東運営のビジョンが私にはわからない。内輪揉めがすごく大袈裟になってしまった感がある。

ただ、作中で俵藤太が藤原忠平にたいしていう、「いかに将門が乱を起こそうとも、民がそれを後ろから押さねば、成るものではありませぬ」というのもまた歴史ではよくある話。数多ある文芸がか弱き民草からの異議申し立てである以上、潰えた「敗者の大義」を将門にみるのは、間違いではない。それが証拠に、いまだに将門が生まれた地の千葉県佐倉市のひとが成田山新勝寺に詣でるのを忌避するという話が、あれから千年以上たったあともあるのだから。

西は太宰府、東は淡路島まで、海賊を中心として瀬戸内海をベースに起きた藤原純友の乱が、ほぼ同年に発生している。これらも併せると、京の朝廷から見れば、中央集権体制への叛逆である。しかも二正面作戦を取らざるを得ない。他のところで独立の機運が立ち上がってきても困るので、早々に叩き潰す必要がある。

この辺りをうまく収めたのち、9世紀末から10世紀にかけての藤原北家道長(966年生まれなので、作中では生まれていない)を中心とする盤石の体制ができあがる。

940年(平将門の乱)時点の推定年齢(史実に近いベース)

56歳:小野好古(右近衛少将など)

49歳:藤原秀郷(平定後、従四位下鎮守府将軍、武蔵守)と浄蔵法師(雲居寺住職?)。源経基(平定後、従五位下)も大体これくらいか。

37歳:平将門(多分これくらい)

31歳:藤原師輔(参議、中納言検非違使別当=軍事/警察のトップ)

23歳:平貞盛(左馬允)と賀茂保憲(暦生)

22歳:源博雅従四位下

19歳:安倍晴明(?)

960年(この物語)時点の推定年齢

76歳:小野好古正四位下。参議、大宰大弐など)

69歳:藤原秀郷従四位下。役職なし?)と浄蔵法師(雲居寺住職?)。源経基正四位上鎮守府将軍? 在任期間不明)も大体これくらいか。

60歳:平貞盛(前丹波守)の作中年齢。

51歳:藤原師輔(正二位、右大臣)

43歳:平貞盛従四位下。元鎮守府将軍)と賀茂保憲従五位下陰陽頭

42歳:源博雅従四位下右近衛中将

39歳:安倍晴明(天文得業生)

 

この物語では、安倍晴明は10代から20代前半っぽい容貌。1巻の冒頭シーンを見ると、保憲とはそんなに大きな年の差を感じないので、40歳くらいだがそうは見えないと思っておくべきか。

あの筋肉量からすると藤原秀郷も70歳近くにはみえない。作中年齢的には50代? ほぼ将門とおなじくらいの歳にするとバランスがいいかも。

 

将門伝説

首と右腕がない、というのは、どういう話なのか。

首が見つからないとすれば、それは将門の伝説を示唆しているようにおもえる。

首については、有名な話がある。

流れ矢で討ち取られたのは下総(千葉県)のようだが、京都の七条河原で首がさらされる。そこから東国に向かって飛んでいったとされる。それを祀った神社がいくつかある。再びの内乱が起きないようにと飛んでいる首を射落として祀った御首神社(みくびじんじゃ。岐阜県大垣市)や、東京千代田区大手町の将門塚(首塚)などなど。

www.mikubi.or.jp

首塚は、うごかすと呪われるというオカルトがけっこう広まっていた。先日工事がつつがなく終わった。

visit-chiyoda.tokyo

右腕がないというのは、芦屋道満がもっていったっぽいのが作中で描かれているので、どうでてくるか、楽しみ。

腕を切られるというのは、別述するが、茨木童子の話のオマージュなのかも。

成田山新勝寺という平将門調伏のために設立されたお寺

成田山新勝寺の由来が、平将門を調伏するために、空海作の不動明王をまつった、処に始まるというのは、今回の件で調べて初めて知った。

成田山のはじまり(開山縁起) – 大本山成田山新勝寺

であれば、浄蔵法師よりも、成田山新勝寺の開祖となる寛朝法師(のちの大僧正)のほうが、加持祈祷で将門と直接戦っているという意味で、将門との敵対度は高い気もする。すくなくとも、小野好古よりは。(理由は、後述)

なお、将門を破ったお礼もかねてなのか、源頼朝が平家追討祈願をするなど、新勝寺は源氏系とつながりが深い。

 

将門に対して大きな関わりを持つと賀茂保憲が言っている6名の立ち位置

将門の乱の遠因となる戦いで戦った:源経基

将門の乱で、直接戦った;藤原秀郷平貞盛

将門の乱で、加持祈祷で戦った:浄蔵法師

 

こうなってくると、二人、刃を交えていない人がいる。

藤原師輔

将門の乱平定後の武勲功論にて、征東大将軍に任じられた藤原式家の忠文が坂東に着く前に乱が終わったが、忠文も功を任じられるように師輔が論陣を張り、認められる。

と言うのは史実にある。しかし、直接坂東で将門と戦ったわけでもない。

将門の乱以前、将門が申し開きに来たときは、師輔が検非違使庁別当(=警察庁長官)だった。この時の取調べには関わっているはず。しかし、作中では藤原忠平太政大臣が表に立っていて、師輔の描写はない。

師輔が、無根拠なものも含めて将門誅すべしなど、悪意のある上奏をするが、忠平に握りつぶされたという描写があれば、悪役っぽいのだが、それはない。まあ、もしそうしたとしても、位の差から言うと太政大臣の方がはるかに上だから、忠平が優先されるだろう。となると、将門にとって重要な敵対をしていたように思えないんだが。

どこかで相応しい描写がカットバックされるのか?

小野好古

藤原純友の乱の平定には関わっているが、将門の乱に直接関わっていなさそう。純友の乱平定後は、地方官として伊予権守・讃岐権守・備中権守などを歴任しているが、坂東に赴いたとは記述がない。

作中にある、浄蔵法師からうけとった何かが、キーとなるように描かれていくのだろうか?

ちょっとかわいそうな描かれかたの源経基

源経基は、正史では鎮守府将軍に任じられ、息子も孫も任じられるという武辺の家系であり、子孫が河内源氏征夷大将軍源頼朝足利将軍家を輩出する、清和源氏として臣籍降下した最初の人。作中の関係上、わりと情けない感じで描かれるのはちょっとかわいそうなきもする。

源経基藤原忠平の副将軍として将門東征に出立したが、同じく坂東に着く前に乱が平定されている。本番では全く活躍していない。

[220424追記] 扉絵で出てくる、経基からの3代、特に経基の孫の頼光の鬼退治系の話、別エントリーとして独立させます。ちょっと寄り道が過ぎたので。

黒幕は、誰だ?

将門は自らよみがえろうとしているワケではない。黄泉の国と現世を隔てるものすら崩して、朝廷に反旗を翻したいものがいる。誰かはわからない。人外の化生を操ることができるほど、陰陽に秀でている。その人物が、将門を使役するためによみがえらそうとしている。

「いかに将門が乱を起こそうとも、民がそれを後ろから押さねば、成るものではありませぬ」という後ろから押す誰か、なのか?

黒幕に協力する土蜘蛛=反朝廷勢力な、アラクネたち

いまのところ作中で表にでているのは、荒絢音たち國栖衆と仮面の姫である。

彼女らの動機は、今のところはっきりしていない。例の6名に対する「恨み」はありそうだが、何の恨みかは明らかにされていない。

 

土蜘蛛は反体制勢力を表すのだが、もちろんファンタシーなので大きな土蜘蛛としてでてくる。一番有名とおもわれるのが、源頼光が土蜘蛛を退治するの図。

Kuniyoshi Utagawa, Minamoto Yorimitsu also known as Raiko.jpg
『源頼光土蜘蛛の妖怪を切る図』(歌川国芳 筆文政前期 大判二枚続)

パブリック・ドメイン, リンク

ちなみに頼光がもっているのが、試し切りで罪人の膝まで切れた逸話から「膝丸」これをもってこの土蜘蛛を切ったので「蜘蛛切」と名前を変え、最終的に「髭丸」と言われることになる名刀。


『土蜘蛛草紙絵巻』(東京国立博物館所蔵、重要文化財鎌倉時代14世紀)

Tsuchigumo no soshi emaki - Kamakura - part 14 - Yorimitsu killing Tsuchigumo.jpg
不明 - http://www.emuseum.jp/detail/100257/000/000>, パブリック・ドメイン, リンクによる

 

荒絢音は蜘蛛。アラクネはギリシャの織物の女神で後にアテナに蜘蛛にされる。

國栖衆は、神武天皇東征のおり、光る井戸から出てきた尾のある人という伝説がある、先住民。ってことは、基本的には朝廷に敵対するもの。

となると姫は誰?

國栖衆の誰かなのか、それとも、歳も二十歳くらいだとすれば、将門の側女の桔梗の娘?

更なる黒幕がいるのでは?

それは、興世王なのか?

描写の絵的には、もしかすると、という感じはある。魑魅魍魎を使役している顔があまり描写されないキャラは、興世王に見えなくもない。

今のところの作中の描写では、生きている段階の将門をうまく転がして新皇宣言までもっていった印象がある。でも、史実としては将門より前に戦死しているし、陰陽道に秀でているという描写も今のところ作中にないんだよね。

そういう意味では、興世王を使役している、まだ描かれていない誰かがいても不思議ではない。だとしたら、それは誰で、動機は何か?

敗者の復活なので、どんなにコミカルに表面上は描かれたとしても、悲劇にならざるをえないのだが。