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サントリー美術館 「生誕三百年 同い年の天才絵師 若冲と蕪村」

arts

若冲は数度しか、蕪村を、生で見るのは、たぶん初めて。
若冲は「動植綵絵」のイメージが強く、超精彩画家というイメージをもっていたのだが、まるっと覆されたのが痛快でおもしろかったのが最大の収穫。

展覧会の見せ方の面白さ

サントリー美術館のみせかたは、ケレン味があっておもしろい。

前に行ったのは『高野山の名宝』で「2014年の美術展」という自分の記事でも書いたのだけど、4階から3階へ、孔雀明王坐像を上から見下ろしながら階段を降りていくってのがすばらしくって。八大童子の配置の仕方も、スポットライトの当てかたも陰影が強くって、彩度高めな感じが、ケレン味と感じたところ。八大童子は東博でもみているのだけれど、あちらは静謐な感じ。国宝も演出の余地があるのだと知ったのはとても楽しかった。

今回は基本が描きものなので、どう見せるのか、楽しみだったのだけれど、物理的な見せ方というよりも、比較の仕方で勝負という感じだった。

たとえば。

同い年の作家ということで、まったく互いに言及していないふたりを俎上に載せること。
また、彼らが参考にしたと思われる、元の絵を比較表示すること。
内容は異なるが、似たような大きさの大作を比較展示すること。

という補助線の引き方が楽しかった。キュレーターの意思だろうね。好みはあるかもしれないけど、意思があるのはおもしろいよ。

若冲の良さは、精密画ではなく、描く抽象度を自在に操ることだと感じた

繰り返しになるが、若冲は「動植綵絵」のイメージが強く、超精彩画家というイメージをもっていた

じっさい、それに類する展示も多々あった。鳥禽図とか。

でもね、途中で違和感を覚え始めるんですよ。しばらく考えて、全体が常に精密なわけではないということに気づいた。

最初に気づいたのは、鳥は超精密なのに、止まっている木がちょっとクリシェっぽいとおもったところ。極端に言うと、鳥が写真なのに、木がイラストっぽいなと。これってある意味、写真でいうと被写界深度を浅くして、見せたいところにピントを合わせるような描き方ではないだろうかと。

そういう視線誘導意図があるような気がしてきて。そういう意図がほんとにあったかどうかはわかりませんが。

こういうのは、生の大きさでないと気がつかないですね。

それから、私が今までほとんどみていなかった、イラストちっくな画風。今回一番気に入ったのは、『雨龍図』です。とぼけた顔、自分のツノの間から胴体が上に流れ、画面から消え、またもとにもどる。流れるような曲線美。基本は単色の墨なんだけど、鱗は筋目描き。精密なんだけど、全体で言うととぼけた感じ。

布袋さんもかわいかった。僕の中ではこの直線上に、象と鯨図屏風がある感じ。

飽きない全然飽きない。

若冲がますます好きになった、展示会でありました。

今度、三の丸尚蔵館若冲展示があったら、動植綵絵を生でぜひ見てみたい。